野党の20年間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 10:05 UTC 版)
「民主社会中道・人民党」の記事における「野党の20年間」の解説
民主同盟の崩壊後、アドリアノ・モレイラ新党首の下で党体制の刷新を図るも、退潮を止めることが出来ず1期限りで党首を降りる。その後ド・アマラルが党首に返り咲いてもこの傾向は変わらず、アニーバル・カヴァコ・シルヴァ率いる社会民主党の後塵を拝し、一時は4議席(後に5議席)にまで後退。1992年にはド・アマラルが党を離れる。 ド・アマラルの離党後の同年3月、第10回党大会にてマヌエル・モンテイロが党首に選ばれ、翌年の臨時党大会で スペインの同名の政党を模範とすべく、党名に人民党が加わる。 1995年の議会選挙で15議席を獲得し党勢が回復したものの、1997年の地方選挙で敗北を喫する。この結果を受けモンテイロが党首を辞任し、ブラガで開かれた党大会にてパウロ・ポルタスが党首に就任。ポルタスは1999年の議会選挙で現有議席を確保することなどを公約し、それを果たした。
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