野党とメディア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/10 14:32 UTC 版)
「ウズベキスタンの政治」の記事における「野党とメディア」の解説
その上2002年の国民投票で通過したのは、二院制の議会を作る案であった。数個の政党が、政府の承認を受けて結成されたが、政府の政策に対する選択肢を主張できるか明らかでない。同様に複数のメディア(ラジオ、TV、新聞)が創設されたが、政府の管理下にあり政治の話題に触れることは稀である。独立政党は限定的な登録手続きで登録を拒否されている。 幅広い憲法の保護があるとはいえ、カリモフは積極的に政治的な権利を抑圧してきており、無許可の集会やデモを禁止し、野党を抑圧し続けている。抑圧により制度改革が行われても積極的に反対するものが減っている。1990年代半ば、政府から分かれた独立労組に関する重要な権利や個人の権利を大幅に認める規定が設けられたが、施行は恣意的で、公安の業務は、依然中央集権である。 時たまある自由化を除いて野党と独立メディアは全て本質的にウズベキスタンでは禁止されている。1990年代前半は、冤罪で野党党員が逮捕され殴打されたという特徴がある。例えば有名なウズベク人イブラヒム・ブレエフは、1994年に野党を結成する計画を発表すると逮捕された。3月の国民投票直前に釈放されたと伝えられたが、その後再び違法に小火器と薬物を所持していたとして逮捕された。1995年4月、カリモフの任期延長を問う国民投票から2週間も経たないうちに、6人の反対派が、エルク党の機関紙を配布しカリモフ打倒を訴えたとして有罪判決を受けた。野党の党員は、ウズベキスタンの秘密警察から嫌がらせを受けてきた。
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