野党の乱立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/11 13:46 UTC 版)
1963年2月以降、これまで規制されていた政治活動が張勉など一部政治家を除いて解禁され始めると、在野勢力(この場合は第二共和国時代の与党勢力)は野党勢力を糾合した単一野党を結成する動きを見せたが、大統領候補一本化を巡って分裂。結局、旧派系(新民党)が「民政党」(1963年9月12日)を結成、新派系(民主党)は「民主党」(63年7月18日)を再結成、過渡期政府を率いた許政を中心としたグループは「国民の党」(63年9月5日)を結成した(表2参照)。野党候補乱立の結果、朴正煕が第6代大統領選挙で民政党の尹潽善に僅差ながら勝利し、続く第6代総選挙でも共和党が六割を超える議席を得て圧勝した。なお、後に大統領の座を争うことになる金泳三と金大中は当時、金泳三が旧派系の民政党、金大中が新派系の民主党に属し、若手政治家として徐々に頭角を現してくることになった。 表2:野党勢力の概要党名備考民政党 民主党旧派(尹潽善系)が主体となって結成 民主党 民主党新派が結成。 自由民主党 旧派(金度演系)と共和党の一部が参加して結成 国民の党 許政を中心とする雑多な勢力が結成
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