同盟90/緑の党党首
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「ジェム・オズデミル」の記事における「同盟90/緑の党党首」の解説
2008年6月、オズデミルは緑の党党首選に出馬を表明した。対立候補が個人的理由から立候補を辞退したこともあり、11月の党大会で 79.2% の支持でクラウディア・ロート(再選)と共に共同党首に選出された(任期2年)。欧州議会議員を辞して臨んだ2009年ドイツ連邦議会選挙には、比例代表リスト入りを目指したものの党内投票に敗れたため、小選挙区でのみ立候補した。得票率29.9%と善戦したものの、ドイツキリスト教民主同盟の候補に敗れて落選した。 2013年ドイツ連邦議会選挙ではシュトゥットガルトI選挙区から立候補し、小選挙区では敗れたものの、比例代表で当選し、連邦議会に返り咲いた。2017年ドイツ連邦議会選挙ではカトリン・ゲーリング=エッカルトと共に同盟90/緑の党の首相候補として出馬、比例代表での再選を果たした。 2021年発足したオーラフ・ショルツ内閣で食料・農業大臣として入閣。ドイツで初のトルコ系移民出身者閣僚。
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同盟90/緑の党党首
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「クラウディア・ロート」の記事における「同盟90/緑の党党首」の解説
2001年3月9日、同盟90/緑の党党首に選出される。同盟90/緑の党は連邦議会議員の党首兼任を認めていなかったため、2002年9月の連邦議会選での再選を機に、2002年12月の党首選の候補に名乗り出なかった。2002年より連邦議会外交委員会委員代理。2003年の党大会で連邦議会議員と党首の兼任禁止が緩和されたため、2004年10月にラインハルト・ビュティコーファーと共に党首に選出された。2003年から2004年、ドイツ政府人権政策及び人道支援担当参与を務める。2005年の連邦議会選で再選し、2006年12月の党大会では66%の得票で党首続投が支持された。2008年11月にも82.7%の支持を得て、新たに選出されたジェム・オズデミルと共に党首に再選された。2012年11月の党大会では88.5%の得票で党首に再選。 2013年から2021年までドイツ連邦議会の副議長を務めた。 2021年に、同盟90/緑の党と社会民主党(SPD)、自由民主党(FDP)の3党連立により発足したショルツ内閣で、文化・メディア大臣に就任した。
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