党首選
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「1994年イギリス労働党党首選挙」の記事における「党首選」の解説
党首選は1994年7月21日に行われた。5月12日、当時の党首ジョン・スミスが急死したことをうけての選挙であり、この間の臨時党首はマーガレット・ベケットが務めていた。保守党のジョン・メージャー政権の支持率が低下していたことから、この選挙は単に労働党の党首を決めるだけでなく、将来のイギリスの首相を選出する選挙であったともいえる。 党首選は、労働党が1981年以降採用しているシステムにのっとり、労働党の庶民院議員、欧州議会議員の票、労働党員の票、労働党系列の3つの労働組合員の票による投票で行われた。なお、この選挙からかつてのブロック投票制(組合ごとの投票。例えば、1000人の労働組合のリーダーは組合員の意向に関らず1000票を投じることが出来た)を改め、1人1票制度が導入された。 立候補したのは以下の3人。 トニー・ブレア 影の内相。"ニューレイバー(新しい労働党)"を提唱。 ジョン・プレスコット 党内のベテラン議員。 マーガレット・ベケット 副党首を務めていたが、スミスの死後臨時党首、影の首相となる。 ベケットは、労働党では史上初めて党首選挙に立候補した女性候補であった。
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