1990年の党首選
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「ダグラス・ハード」の記事における「1990年の党首選」の解説
内務大臣として確実な手腕を発揮した後、ハードの閣僚としての経歴は、サッチャー首相の波乱に満ちた任期末期において更に進歩した。1989年10月26日にハードは、ナイジェル・ローソンの辞任に従って財務大臣に転任したジョン・メージャーの後を継いで外務大臣に就任した。このポストはハードが最も大きな政治的影響力を行使したポストとなった。 1990年11月中旬の保守党党首選において、彼はマーガレット・サッチャーの立候補を支持した。しかしながら11月22日の第2回投票でサッチャーが撤退した後、ハードは自らは内務大臣として『法と秩序を重視し』成功したという評判を頼って、穏健中道右派の候補として選挙に参加することを決定した。彼はよりカリスマ的なマイケル・ヘーゼルタインや、最終的な勝者となったジョン・メージャーに比べて、「アウトサイダー」と見なされた。ハードはメージャーと同じく穏健な中道右派という政治的土壌を共有したが、年齢と政治的な勢いの点で後れを取っていた。ハードがイートン校卒という点も不利となった場合があった。彼は372票中56票を獲得し、3位となった。メージャーも過半数には3票足りなかったが、ヘーゼルタインとハードは選挙戦から撤退、メージャーが1990年11月27日に首相に就任した。メージャーは初の組閣でハードを外務大臣に留任させた。
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