第2回投票
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「1976年イギリス労働党党首選挙」の記事における「第2回投票」の解説
第2回投票:1976年3月30日候補者得票数得票率ジェームズ・キャラハン141 45.2% マイケル・フット133 42.6% デニス・ヒーリー38 12.2% 得票差 8 2.6% 有効投票数 312 決選投票へ どの候補者も過半数の得票を得られなかったため、最下位のヒーリーを排除して、決選投票が行われることになった。
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第2回投票
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/08 14:19 UTC 版)
「1925年ドイツ大統領選挙」の記事における「第2回投票」の解説
第1回の投票の結果を受けて、社会民主党、中央党、民主党(ヴァイマル連合)の3党は、統一候補を立てることで合意し、得票数が多いブラウンより元首相で知名度の高いマルクスの方が有利と判断し、マルクスを統一候補に決定した。一方国家人民党などの右派勢力は、ヴァイマル連合が団結するのを恐れて、より選挙に有利な候補を求めてすでに引退していた元参謀総長で国民的英雄のヒンデンブルクに出馬要請を行った。ヒンデンブルクは当初、オランダにいた元ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世に遠慮して出馬を拒んだが、ヴィルヘルム2世からの許可が下りると第2回大統領選挙に出馬の意思を固めた。バイエルン人民党は、同じカトリックの中央党と友党関係にあり(両党とも元は1つの政党)、カトリックのマルクスを支援すると思われていたが、党内の保守層に押されてプロテスタントのヒンデンブルク(ちなみに祖先にマルティン・ルターがいる)の支持に回った。ナチ党などの国粋主義の諸勢力は第1回投票ではルーデンドルフを支持したが、ヒンデンブルクの支持に鞍替えした。共産党はヴァイマル連合との協力はせず、テールマンが再び出馬した。 当落得票数得票率候補者所属政党支持政党 ○ × × 14,655,64113,751,6051,931,151 48.30%45.30%6.40% パウル・フォン・ヒンデンブルクヴィルヘルム・マルクスエルンスト・テールマン 無所属中央党共産党 国家人民党・人民党・ナチ党・バイエルン人民党社会民主党・民主党なし
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