第1回投票とは? わかりやすく解説

第1回投票

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/06 23:03 UTC 版)

1976年イギリス労働党党首選挙」の記事における「第1回投票」の解説

第1回投票:1976年3月25日候補者得票数得票率マイケル・フット90 28.7% ジェームズ・キャラハン84 26.8% ロイ・ジェンキンス56 17.8% トニー・ベン37 11.8% デニス・ヒーリー30 9.6% アンソニー・クロスランド17 5.3% 得票差 6 1.9% 有効投票数 314 第2回投票へ 第1回投票の結果ジェンキンスベン、クロスランドが撤退した

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第1回投票

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 10:21 UTC 版)

2008年ジンバブエ大統領選挙」の記事における「第1回投票」の解説

投票3月29日行われ即日開票された。また、同時に上院下院選挙地方議会選挙投票行われた野党民主変革運動MDC)は3月30日に独自集計結果をもとに、勝利を宣言した4月2日には、ツァンギライが50.3%、ムガベ43.8%を獲得したとして改め勝利宣言した。しかし、即日開票にもかかわらず選管からの投票結果発表はなかなか出ず4月4日には与党ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線(ZANU-PF)の幹部会議にて決選投票に臨む方針示した。さらに、ZANU-PFは選挙結果出ないうちに、票の再集計指示MDC側はZANU-PFが票を不正操作していると指摘した投票結果発表が遅れる間に、与党支持者退役軍人などによる野党支持者対す暴力行為横行政権もこれに大きく関与したとされ、ムガベの票を過少集計したとして選挙管理委員5人が逮捕された。また、4月3日夜、許可なく取材活動行ったとして、「ニューヨーク・タイムズ」の記者イギリスフリージャーナリスト警察拘束された。 MDC投票結果即時公表求めて裁判所提訴したが、4月14日ジンバブエ高等裁判所訴え退けた。この判決受けてMDCゼネスト行ったが、不調に終わり16日警察ゼネスト計画した野党支持者56人を「公務執行妨害」で拘束した4月25日には、警察当局MDC本部独立系選挙監視団ジンバブエ選挙サポートネットワーク(ZESN)の事務所捜索した。この捜索では、MDC支持者数十人が拘束され、ZESNでは書類押収されたという。 一方下院選挙定数210)ではZANU-PFは97議席過半数割りMDC主流派分派あわせて109議席獲得した。ZANU-PFは、野党23議席について再集計要求したが、集計結果変わらず独立以来初の与党敗北確定した上院では、与野党それぞれ30議席獲得した選挙結果5月2日発表され、ツァンギライが全得票の47.9%、ムガベは43.2%を獲得した。この結果過半数の票を獲得した候補者がいなかったとして、選挙規定により決選投票が行われることとなった選挙規定では決選投票は、1回目投票から21日以内行われることになっているが、5月17日選挙管理委員会6月28日決選投票実施する発表した

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第1回投票

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 13:55 UTC 版)

2012年エジプト大統領選挙」の記事における「第1回投票」の解説

第1回投票は予定どおり5月23日午前8時より開始された。エジプトにとって史上初の自由投票大統領選挙となったこともあり、投票所には長蛇の列ができた。選挙後、不正があったとしてアフマド・シャフィークハムディーン・サッバーヒーアブドルモネイム・アブールフトゥーフアムル・ムーサの4候補などから合計7件の不服申し立てられたが、いずれも選挙結果には影響しないものとして却下された。5月28日選管より公式結果発表されその結果過半数得た候補はなく、イスラム穏健派ムハンマド・ムルシーが1位、元首相アフマド・シャフィーク2位となり決選投票進んだ投票率は46.2%。シャフィークムバーラク政権下で首相務めていたこともあり、選管による選挙結果発表後には首都カイロタハリール広場にてシャフィーク決選投票進出抗議するデモ行われたほか、シャフィーク選挙事務所放火されるなどした。またカイロ以外でもエジプト各地抗議デモが行われ、決選投票進んだ両者ポスター破られるなど混乱続いた

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第1回投票

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 16:41 UTC 版)

1960年自由民主党総裁選挙」の記事における「第1回投票」の解説

候補者得票数池田勇人 246石井光次郎 196藤山愛一郎 49松村謙三 5票 大野伴睦 1票 佐藤栄作 1票 この当時総裁選挙は立候補制ではなかったため、自民党所属国会議員対する票であればすべて有効票として扱われた。 どの候補1回目投票過半数獲得しなかったので、上位2名による決選投票が行われた。

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第1回投票

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 08:25 UTC 版)

2012年自由民主党総裁選挙」の記事における「第1回投票」の解説

候補者得票数議員党員算定1/安倍晋三 14154票 087票 2/石破茂 19934165票 3/町村信孝 034票 27007票 4/石原伸晃 096票 58票 038票 5/林芳正 027票 24票 003票 党員算定票の内訳候補者1/安倍2/石破3/町村4/石原5/合計871657383都道府県配分票数北海道92 3 4 青森県51 3 1 岩手県41 2 1 宮城県52 2 1 秋田県41 3 山形県5 5 福島県61 4 1 茨城県101 8 1 栃木県51 3 1 群馬県71 5 1 埼玉県82 5 1 千葉県72 4 1 東京都164 8 4 神奈川県104 5 1 新潟県73 4 富山県82 5 1 石川県72 3 1 1 福井県53 2 山梨県4 2 1 1 長野県51 3 1 岐阜県103 5 2 静岡県82 5 1 愛知県93 5 1 三重県51 4 滋賀県51 3 1 京都府52 3 大阪府94 4 1 兵庫県62 4 奈良県42 1 1 和歌山県53 1 1 鳥取県5 5 島根県61 3 2 岡山県63 3 広島県83 3 2 山口県65 1 徳島県4 4 香川県61 3 1 1 愛媛県73 4 高知県4 4 福岡県63 2 1 佐賀県41 2 1 長崎県73 3 1 熊本県72 3 2 大分県52 2 1 宮崎県62 4 鹿児島県61 3 2 沖縄県4 3 1無効票:1) 最多得票石破得票数有効投票数過半数250票以上)に達しなかったため、総裁公選規程第23条に基づき石破安倍の上位2名について、党所属国会議員198名)による決選投票が行われた。決選投票が行われたのは1972年総裁選挙(田中角栄福田赳夫)以来40年ぶり。

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第1回投票

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/08 14:19 UTC 版)

1925年ドイツ大統領選挙」の記事における「第1回投票」の解説

第1回投票で当選するには、絶対的多数つまり過半数での得票が必要であったがどの候補過半数獲得はできなかった。 当落得票数得票率候補者所属政党支援推薦政党 × × × × × × × 10,416,6587,802,4973,887,7341,871,8151,568,3981,007,450285,793 38.80%29.00%14.50%7.00%5.80%3.70%1.10% カール・ヤレスオットー・ブラウンヴィルヘルム・マルクスエルンスト・テールマンウィリ・ヘルパッハハインリヒ・ヘルトエーリヒ・ルーデンドルフ 人民党社会民主党中央党共産党民主党バイエルン人民党タンネンベルク同盟 国家人民党しなしなしなしなしなし

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第1回投票

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 01:32 UTC 版)

2010年ウクライナ大統領選挙」の記事における「第1回投票」の解説

オレンジ革命後の2005年1月ヴィクトル・ユシチェンコ第3回投票やり直し決選投票)で第3ウクライナ大統領当選した5年任期終了後予定通り2010年1月17日投票が行われた。18名が立候補し同日夜に投票締め切られ開票作業なされた地域党ヤヌコーヴィチが1位となったが、当選必要な過半数届かず決着2位ティモシェンコとの間で行われる2月7日決選投票持ち越されることになった。なお、現職ユシチェンコ支持集められず5位に終わった

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