第1回将棋電王戦
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「Puella α#米長との対局」および「米長邦雄#ボンクラーズとの対局」も参照 2010年10月11日、女流棋士の清水市代(当時女流王位・女流王将)とコンピュータソフトのあから2010が対局し、あから2010が勝利した。この結果を受け、当時日本将棋連盟会長だった米長邦雄が、中央公論2011年1月号における梅田望夫との対談で、次は自身が「引退棋士の代表」としてコンピュータ将棋と対局するという表明を行なった。 2011年10月6日、2011年世界コンピュータ将棋選手権の優勝ソフトのボンクラーズと米長が日本将棋連盟、ドワンゴ、中央公論の共催により、「米長邦雄永世棋聖 vs ボンクラーズ プロ棋士対コンピュータ 将棋電王戦」として対局することが発表された。 対局日は2012年1月14日、対局形式は持ち時間3時間で1分未満の考慮時間は計測せず、途中に1時間の昼食休憩を挟む、ボンクラーズ側のセッティングは消費電力2800ワット内で自由と発表され、会見時に行なわれた振り駒によって先手がボンクラーズと決まった。また、この対局を「第1回電王戦」とし、以後継続的にプロ棋士とソフトの対局が行なわれることとなった。 2011年12月21日に、第1回将棋電王戦に先立ち、米長とボンクラーズの前哨戦「将棋電王戦プレマッチ」が持ち時間15分でインターネット対局対局サイト将棋倶楽部24で行なわれた。電王戦と同じく後手番を持った米長は2手目に△6二玉という奇手を指してボンクラーズの撹乱を狙ったが、85手で先手のボンクラーズが勝利した。 2012年1月14日には米長とボンクラーズの本対局が将棋会館で行なわれ、113手で先手のボンクラーズが勝利した。米長は2手目に△6二玉と、前哨戦と同様の手を指した。ボンクラーズの駒を動かすアシスタントは米長の弟子である中村太地が務めた。
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