第1回天覧試合で惜敗し準優勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 15:20 UTC 版)
「牛島辰熊」の記事における「第1回天覧試合で惜敗し準優勝」の解説
1929年に開かれた第1回天覧試合では予選リーグを得意の寝技でオール一本勝ち、決勝を武道専門学校教授の栗原民雄(後の十段)と争い、25分の激闘の末、惜しくも判定で敗れる。 天覧試合は毎年開催されるものではなく、皇室の記念行事なのでいつ次の天覧試合が開かれるか分からないため、牛島は次に開催される天覧試合の雪辱を期し上京、皇宮警察、警視庁、東京商科大学(現・一橋大学)、学習院、拓殖大学の師範となった。 そしてこの年の夏から東京での更なる猛稽古が始まった。あちこちに出稽古に回り、1日最低でも40本の乱取りをこなした。稽古後は消耗して階段も昇れず、食事は粥しか喉を通らない。朝起きると手の指が固く縮こまって開かず、湯につけて暖めながら少しずつ伸ばすほどの凄まじい稽古量をこなしたという。
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