第1回大会の開催
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/02 01:05 UTC 版)
「国民体育大会冬季大会」の記事における「第1回大会の開催」の解説
戦争下で国家総動員体制へ編入されたスポーツ・体育は、戦後、大々的な改革の対象となった。大日本体育会の理事長であった清瀬三郎は、一部エリート選手の育成に専ら力が注がれていたこれまでの日本のスポーツを反省し、これからのスポーツは大衆に根差したものでなければならないと主張するとともに、スポーツに科学性を付与してその健全な発達を促し、大衆が安心して親しめるものにしなければならないと強調した。政府の外郭団体となっていた大日本体育会は民間団体へと戻り、戦後の混乱の中で「働く人に慰安を与え、青少年の思想に新方向を示すべくスポーツを奨励して、荒んだ社会に一抹の清涼剤を投じる」べく直ちに活動を開始した。このようにスポーツの大衆化・民主化気運の中で大日本体育会が中心となり、終戦直後の昭和21年度(冬季大会は1947年に当る)に国体の第1回大会は開催されることとなった。 第1回国民体育大会冬季大会は青森県八戸市を会場にスケート競技会(スピード、フィギュア、アイスホッケー)が開催された。スキー競技会も北海道や長野県での開催が検討されていたが、輸送事情などの理由により中止となった。なお翌1948年(昭和23年)の冬季大会は、冬夏秋三季の大会の総合成績で第1位の都道府県に天皇杯を授与することが決まったため第3回国体に繰り入れられ、以後国体は年度制から暦年制に改められている。それにより第2回の冬季国体は欠回となっているが、これは開催に中止があったわけではなく、冬季国体は第1回大会から毎年開催されている。
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