選挙戦から撤退
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「2008年アメリカ合衆国大統領選挙」の記事における「選挙戦から撤退」の解説
ジム・ギルモア 元ヴァージニア州知事(選挙運動サイト)2006年11月に大統領選挙への出馬も可能性があることを表明。2007年1月2日に検討委員会を設立、4月26日、アイオワ州デモインにて出馬を表明したが、7月14日資金調達困難などを理由として選挙戦から撤退した。ジョン・ウォーナー上院議員の引退表明に伴い、2008年のバージニア州上院選に出馬を表明。 トミー・トンプソン 元保健・福祉省長官(選挙運動サイト) 元ウィスコンシン州知事、同州出身。2006年12月15日に検討委員会の設置を表明した後、2007年4月1日に立候補を正式に表明したが、8月選挙戦からの撤退を表明した。 サム・ブラウンバック 上院議員(カンザス州選出)(選挙運動サイト)同州出身。地元カンザス以外での知名度は高いとはいえないが、宗教右派とのつながりが深い。AP通信によると、こうしたコネクションを通じアイオワ、ニューハンプシャー両州で活発な運動をしているとされる。2006年12月4日、検討委員会の設置を表明し、2007年1月20日、地元・カンザス州で立候補を表明するが、2007年10月19日選挙戦から撤退。 トム・タンクレイド 下院議員(コロラド州選出)(選挙運動サイト)より厳しい移民政策の主要な提唱者の1人。当選の可能性については、低く見る意見が多いが、草の根レベルでの支持があるといわれる。2007年1月16日、検討委員会の設置を表明。4月2日、ラジオ番組内で立候補を表明した。12月20日、選挙戦から撤退を表明し、ロムニー支持を表明。 ダンカン・ハンター 下院議員(カリフォルニア州選出)(選挙運動サイト)同州出身。不法移民に対する強硬派で、NAFTAやWTOなどに基づく自由貿易協定に反対の立場をとる。「アメリカがこの危険な世界で平和を達成する最善の方法は強くあり続けることだ」との主張が大統領選挙の キャンペーンサイト に掲示されている。2006年10月30日、大統領選挙への出馬を表明。 フレッド・トンプソン 俳優・元上院議員(テネシー州選出)(選挙運動サイト)著名なテレビドラマ「ロー&オーダー」で検事役を務めるなど知名度がある。2007年3月に出馬を検討中と報道されると世論調査にて一定の支持を集めた。2007年6月1日、準備的な選挙委員会の設置を発表した。 ルドルフ・ジュリアーニ 前ニューヨーク市長(検討委員会サイト)アメリカ同時多発テロ発生時のニューヨーク市長で世界的な知名度を有する。2005年10月2日に立候補する可能性を見極めている最中と発言。保守系の国民の間では人気が低迷しているものの、世論調査では他候補をリードして1位となっているケースが多い。早くから有力な次期大統領候補として、メディアに取り上げられている。2007年2月5日、連邦選挙委員会への立候補の届出を行ったが、選挙運動は検討委員会の設置後から大きな動きを見せていない。2月15日、CNNの番組で出馬を表明。2007年末の時点で共和党の最有力候補と目されていたが、予備選の序盤を不戦敗とし、大票田のフロリダ州予備選とスーパー・チューズデーに力を集中させる選挙戦略が失敗。フロリダ州予備選での敗北を受け、撤退しマケインを支持。 ミット・ロムニー 前マサチューセッツ州知事(選挙運動サイト)ミシガン州出身。2002年のソルトレイクシティにおける冬季オリンピックのCEOを務めた。リベラルの牙城とされるマサチューセッツ州の共和党知事として中道層の取り込みが期待され、2004年の大統領選挙ではニューハンプシャー州をブッシュ大統領と共に遊説する。知事退任の2007年1月3日、検討委員会の設立を届出。同年2月13日正式に立候補を表明した。ユタ州知事ジョン・ハンツマンが支持を表明。サウスカロライナ州やニューハンプシャー州など早い段階で予備選挙が行われる州で遊説。アイオワ州では当初リードしたものの、ハッカビーに逆転を許した。直後のワイオミング州で勝利し、その後マケインとトップ争いを繰り広げるが、スーパー・チューズデーでマケインに差をつけられたため撤退しマケインを支持。 マイク・ハッカビー 前アーカンソー州知事(検討委員会サイト)地元紙によると、親しい友人に立候補することを打ち明けた。インターネット上に彼を大統領候補として支持するサイトが存在する。2007年1月、検討委員会を設置。立候補を正式に表明した。党内保守派で福音派、牧師の資格を持つ。宗教右派の強固な支持を得る。緒戦であるアイオワ州の党員集会ではミット・ロムニーを抑え勝利。その後はマケインとロムニーに大きく引き離されるが、ロムニーが撤退しマケインが独走態勢を固めた後も選挙運動を継続したため獲得代議員数ではロムニーを上回る。マケインが代議員の過半数を獲得した時点で撤退。 ロン・ポール 下院議員(テキサス州選出)(選挙運動サイト)1988年の大統領選挙にはリバタリアン党候補として出馬。2007年1月11日、検討委員会設立の届出を行った。2003年のイラク戦争への議会承認の際に反対投票を行った7人の共和党議員のうちの1人。2007年3月12日に正式に立候補を表明した。イラクとアフガニスタンからの米軍の早期全面撤退を支持する。マケインの代議員過半数確保後も最後の予備選まで選挙運動を継続する。予備選終了後も党から距離を置いた独自の活動を行う。
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ビル・リチャードソン ニューメキシコ州知事(選挙運動サイト)元エネルギー省長官、元国連大使。AP通信によると、2005年2月に党幹部に対して立候補の意志を伝えた。「2007年1月までに正式に決定を行う」と述べ、検討委員会を設置。2007年5月21日にヒスパニック系初の大統領を目指して正式に立候補を表明した。しかし、2008年1月10日に撤退を表明。また2008年3月21日にバラク・オバマ上院議員を支持すると表明した。 トム・ヴィルザック 前アイオワ州知事 2004年アメリカ合衆国大統領選挙で、有力な副大統領候補として名前が出た。穏健・中道派の民主党員の組織であるDLCの議長を務め、2006年11月9日に立候補を表明したが、選挙資金を集めることが困難として2007年2月23日には撤退を表明した。 ジョー・バイデン 上院議員(デラウェア州選出)(選挙運動サイト)ペンシルベニア州出身。1973年からデラウェア州選出上院議員。2007年1月7日、NBCテレビの番組、ミート・ザ・プレスにおいて、立候補の意思と同月中に検討委員会を設置する旨を表明、1月31日に立候補のための届出を行った。アイオワ州党員集会での予備選に敗れ、2008年1月3日に撤退を表明したが、8月にオバマ候補の副大統領候補に指名された。 クリストファー・ドッド 上院議員(コネチカット州選出)(選挙運動サイト)コネチカット州出身。2004年にケリー候補の副大統領候補として名前が挙がった。1975年からコネチカット州選出下院議員を務め、引き続き1981年から5期連続でコネチカット州選出上院議員。2006年4月以降、出馬のための準備をしている旨を表明していたが、2007年1月11日に正式に立候補を表明した。アイオワ州党員集会での予備選に敗れ、2008年1月3日に撤退を表明。 デニス・クシニッチ 下院議員(オハイオ州選出)(選挙運動サイト)同州出身、元クリーブランド市長(1978年から79年)。2004年アメリカ合衆国大統領選挙でも民主党候補の地位を争う。イラク戦争および愛国者法に反対したこと、合衆国平和省の設立を提案したことで知られる。2006年12月12日に立候補を表明したが、ニューハンプシャー州での予備選で得票率が1%にとどまるなど支持が広がらず、2008年1月24日に撤退を表明した。 ジョン・エドワーズ 前上院議員(ノースカロライナ州選出)(選挙運動サイト)サウスカロライナ州出身。民主党副大統領候補(2004年)。政界からいったん退いた後も、自らの政治団体を維持。2005年2月5日、ニューハンプシャー州での民主党の資金パーティーに参加、演説。さらに8月18日にはアイオワ州ウォータールーで労働組合AFL-CIOの集会に出席、講演を行った。2006年12月26日に立候補を表明した。2008年1月3日の初戦アイオワ州党員集会でクリントンを上回る2位に食い込んだが、その後は低迷。地元サウスカロライナで3位と惨敗し、2008年1月30日に撤退を表明した。 ヒラリー・クリントン 上院議員(ニューヨーク州選出)(選挙運動サイト)イリノイ州出身。1993年から2001年までファーストレディー(ビル・クリントン前大統領夫人)その後2001年より上院議員。高い知名度とリベラルな政策による支持者を持つとされて早くから有力候補として取り沙汰される一方、過去の資金スキャンダルや元大統領の夫の「七光り」などの理由で強い不支持者も抱えると言われる。2006年上院議員選挙では他候補を圧倒する選挙資金を集めるなど強い基盤を有する。2007年1月20日に自身のウェブサイトで立候補を表明。高齢の女性層、及びヒスパニック、労働組合が主な支持基盤である。2007年11月では世論調査で民主党大統領候補の首位を占め、民主党大統領候補の本命と目されていたが、2008年2月にオバマに逆転を許し、選挙参謀を代える等の巻き返しに懸命であるが、選挙資金でもかなりの差を開けられている現状にあった。そして2008年6月3日の予備選終了の時点でオバマが獲得代議員数の過半数に達したため、6月7日に正式に撤退を表明した。
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