選挙戦の始まり
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「2004年アメリカ合衆国大統領民主党予備選挙」の記事における「選挙戦の始まり」の解説
2002年5月31日、バーモント州の知事であったハワード・ディーンは大統領選挙検討委員会を設置した。最初のアイオワ州党員集会から数えて2年近くも前の時点ではあったが、小さな州の知事として、地元以外ではあまり知られていなかったディーン候補は、早いスタートによって知名度の向上を狙っていた。 同年12月、ジョン・ケリー上院議員(マサチューセッツ州選出)は、NBCの番組で、2004年大統領選に向けて検討委員会を設置するつもりであることを表明し、正式な立候補の表明を数か月以内に行うとの意思を明かした。ケリー候補は、輝かしいベトナム戦争の従軍経験を有しており、民主党候補といえば、軍の最高司令官としての適性について疑問を持たれる、という状況に苦しんでいた民主党員の間では興奮が広がった。 2週間後、2000年アメリカ合衆国大統領選挙で大統領候補であったアル・ゴア元副大統領が、CBSの番組で、2004年の大統領選挙に出馬しないことを表明した。ゴアは、全米規模で書籍の出版に関するキャンペーンを繰り広げていたところで、いよいよ出馬表明をするものと周囲からは広く考えられていた。他の候補者達は、有力候補とされるゴアがどういうプランを有しているのかについて様子を見ていたのか、2003年1月には堰が切られたかのように立候補に向けた動きが活発化した。 ジョー・リーバーマン上院議員は2000年にゴア大統領候補の副大統領候補であったことなどから、もし、ゴアが民主党の大統領候補としての指名を目指すのであれば、自らは出馬しないとの約束をしていた。この約束を守る必要がなくなったことで、リーバーマンは大統領選挙への出馬を表明した。さらに、ノースカロライナ州選出のジョン・エドワーズ上院議員、ミズーリ州選出リチャード・ゲッパート下院議員、ニューヨーク州のアル・シャープトン牧師などが、正式な立候補に向けた第一歩として検討委員会の設置を表明した。2月には、さらなる候補者として、元イリノイ州選出上院議員キャロル・ブラウン、オハイオ州選出デニス・クシニッチ下院議員、そしてフロリダ州選出ボブ・グラハム上院議員が立候補を表明した。 このほかにも、立候補の可能性について名前が挙がる者については様々な憶測が巻き起こった。候補の可能性があるとされた者の中で、正式に不出馬を表明した者としては、上院院内総務トム・ダシュル、コネチカット州選出クリストファー・ドッド上院議員、そして元コロラド州選出上院議員ゲーリー・ハートなどが挙げられる。 4月に発表された2003年第一四半期に関する資金調達状況によれば、エドワーズ候補が740万ドル、ケリー候補が700万ドル、ゲッパート候補が350万ドル、リーバーマン候補が300万ドル、ディーン候補が260万ドル、グラハム候補が110万ドル、クシニッチ候補とブラウン候補がそれぞれ100万ドルを下回る金額をそれぞれ調達した。
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