選挙戦最後の直線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 01:31 UTC 版)
「2004年アメリカ合衆国大統領民主党予備選挙」の記事における「選挙戦最後の直線」の解説
エドワーズ候補は、他の先行する候補に関するネガティブ・キャンペーンをやめたことと相俟って、終盤に勢いを見せ、アイオワ州党員集会で2位、代議員の32%を獲得する驚くべき結果をもたらした。ケリー候補の39%に次いで、先行していたディーン候補の18%より上に行く結果であった。エドワーズ候補は、1週間後のニューハンプシャー州予備選挙で12%の支持を受け、退役将軍ウェズリー・クラーク候補と並ぶ3位を確保した。翌週には、エドワーズ候補は、サウスカロライナ州の予備選挙で勝利し、オクラホマ州でクラーク候補に迫った。 ディーン候補の選挙戦からの撤退以降は、エドワーズ候補はケリー候補の実質的に唯一のライバルとなった。ただ、ケリー候補は、ミシガン州、ワシントン州、メーン州、テネシー州、ワシントンD.C.、ネバダ州、ウィスコンシン州、ユタ州、ハワイ州そしてアイダホ州と連勝し、エドワーズ候補を圧倒し続けた。2月17日のウィスコンシン州ではエドワーズ候補は、予想外の良い結果を受けて、米国のドアミラーに書いてある注意文言をもじりユーモアをこめて「ドアミラーに移っているものは見た目より近くにあることがあります。」と、ケリー候補に用心を求めた。他の候補の多くはこの頃までに脱落し、シャープトン候補、クシニッチ候補およびエドワーズ候補を選挙戦に残すのみとなった。ディーン候補は正式には立候補をしていなかったが、それまでに割り当てられた代議員を手放しておらず、もはや正式な選挙運動をしていないことからすれば未だ高い評価を得ていた。 エドワーズ候補は、ネガティブ・キャンペーンをしない選挙運動を続け、2月29日のニューヨークでの討論会まではケリー候補を攻撃するのをほぼ避けていた。ニューヨークでの討論会でエドワーズ候補は、先行するケリー候補を「ワシントンD.C.の住人」である、と決め付けたり、ケリー候補の貿易協定を審査する委員会の設置プランを嘲笑うことで、ケリー候補を受身の立場に追い込もうとした。 3月のスーパー・チューズデーにおいて、カリフォルニア州、コネチカット州、ジョージア州、メリーランド州、マサチューセッツ州、ニューヨーク州、オハイオ州そしてロードアイランド州の予備選挙、ミネソタ州の党員集会で、ケリー候補は決定的な勝利を収めた。ディーン候補は、2週間前に選挙戦から撤退していたにも関わらず、地元バーモント州で勝利した。エドワーズ候補は、ジョージア州でケリー候補に迫る結果を残したもののどの州でも勝つことができず、大統領選挙からの撤退を選択した。その晩、ブッシュ大統領は、ケリー候補に祝福の電話をした。 3月11日、ワシントンD.C.の特別代議員や他の予備選挙の元ライバルとの会談を行い、ケリー候補は、指名を確実にする2,162名の代議員を手中に収めた。民主党党大会のウェブサイトは、党大会のほぼ3ヶ月前のこの時点で、ケリー候補を党の候補として扱い始めた。
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