ニューレイバーの黒子役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/15 02:34 UTC 版)
「ピーター・マンデルソン」の記事における「ニューレイバーの黒子役」の解説
その後、1992年の総選挙で庶民院議員として立候補することを決断するが、党首キノックはマンデルソンの出馬に乗り気ではなかった。このとき彼の力となったのがトニー・ブレアで、マンデルソンはブレアの隣の選挙区であるハートルプール選挙区から出馬。ブレアは自分の選挙参謀をマンデルソンにつけたり、自宅の一室を貸し与えるなど、協力を惜しまなかった。このブレアによる援助もあり、初当選を果たす。 その後、トニー・ブレア、ゴードン・ブラウンらと共に「モダナイザー」と呼ばれる党近代化を目指すグループの筆頭格となり、「ニューレイバー」建設のために奔走する。キノック党首辞任後の党首選では、ブレア擁立こそ実現しなかったものの、党首選直後の日曜紙サンデー・タイムスに「待機中の労働党新リーダー」と銘打ってトニー・ブレアを取り上げさせるなど、着々と布石を打った。 1994年、党首ジョン・スミスが急死すると、モダナイザーグループからの党首候補者として、ブレアとブラウンのどちらかを推すのかという問題が現実的なものとなった。ここでのマンデルソンの行動ははっきりとはしないが、ブレア擁立のために水面下で動いていたことは確実である。多くの支持を取り付けたブレア陣営は党首選に勝利し、新党首に就任する。それまでブレア、ブラウン、マンデルソンの3人は同志的絆で結ばれていたが、これを機にマンデルソンとブラウンの仲は決定的に悪化してしまう。 1997年の総選挙で選挙キャンペーン・マネージャーとして労働党を大勝利に導いた。それ以来SPIN・DOCTOR(スピン・ドクター)の異名を持つ。
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