ジョン・プレスコットとは? わかりやすく解説

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ジョン・プレスコット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 13:32 UTC 版)

ジョン・プレスコット
John Prescott
2007年
生年月日 (1938-05-31) 1938年5月31日(85歳)
出生地 イギリス
ウェールズ プレスタティン英語版
出身校 ハル大学
所属政党 労働党
称号 プレスコット男爵

内閣 第1次ブレア内閣
第2次ブレア内閣
第3次ブレア内閣
在任期間 1997年5月2日 - 2007年6月27日
首相 トニー・ブレア

環境・運輸および地域担当大臣
在任期間 1997年5月2日 - 2001年6月8日
首相 トニー・ブレア

労働党
副党首
在任期間 1994年7月21日 - 2007年6月24日
党首 トニー・ブレア

選挙区 世俗貴族一代貴族
在任期間 2010年7月8日 - 現職

選挙区 キングストン・アポン・ハル東部選挙区
在任期間 1970年6月18日 - 2010年4月12日
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プレスコット男爵ジョン・レスリー・プレスコット英語: John Leslie Prescott, Baron Prescott1938年5月31日 - )は、イギリス政治家労働党トニー・ブレア首相の下で副首相および副党首を務めた。

来歴

ブレアとの出会い

オックスフォードにあるラスキン・カレッジ出身。1970年、労働党から庶民院議員に初当選する。当初、労働党ではオールド・レイバー、伝統主義者などと呼ばれた、労組出身の守旧派であった。しかし、クローズドショップ制(会社が労組員以外を採用できない制度)の廃止を巡り、元影の雇用大臣として、党近代化を進めるトニー・ブレアに協力する。プレスコットも、影の雇用大臣時代に、クローズドショップ制が時代遅れであることは痛感していた。

副党首へ

1992年の副党首選挙に敗れ、1994年の党首選挙でも、トニー・ブレアの優勢が伝えられていたが、党首選挙が必要であるとの判断と、副党首選への布石としてこれに出馬、次点におさまる。案の定、続く副党首選挙でトニー・ブレア党首のもと副党首に選出された。

ブレアは、プレスコットが党内左派で、「完全雇用」やEU統一通貨導入反対を口にするなど、自分とは政策的に対立していることを承知しながらも、プレスコットが党首に対しては従順であることを見抜いていた。また、後に「デイリー・ミラー」紙の政治記者だったアリスター・キャンベルが報道官として採用され、ブレアとプレスコットの間の伝令役・潤滑油になったことも、両者の関係が円滑にすすんだ要因となった。

新党首ブレアが進めた、党綱領第4条(国有化条項)の改定にあたり、ブレアはプレスコットを改定反対派に対する抑えとして活用し、これを成功させた。この第4条改定に協力して以降、プレスコットはブレアにとって最も必要な実力者になっていった。プレスコット自身も、党内左派を抑え、副党首として忠実にブレアを守った。

1997年の総選挙で労働党が勝利し、ブレア政権が発足すると、環境・運輸・地域担当の副首相に任命された。同年、地球温暖化防止会議に出席し、京都議定書の取りまとめにも活躍した。

叙爵

2010年5月28日、プレスコットに一代貴族の称号が授与されることが発表され[1]、6月15日に官報にあたるロンドン・ガゼットで解散栄誉として公示された[2]。プレスコットは7月8日にイースト・ライディング・オブ・ヨークシャーキングストン・アポン・ハルプレスコット男爵として下院に紹介され[3][4]、7月7日付けの特許状が7月12日に発表された[5]

エピソード

2001年5月16日総選挙の遊説運動中に、農場で働く男から卵を投げつけられる。直後に冷静さを失い、自ら男を殴り、もみ合いになってしまう。警備が間に入りことは収まったが、選挙期間中に副党首・副首相が一般人と喧嘩をするシーンがテレビカメラに収められ、繰り返し報道された(動画)。

メディアでは厳しい批判にさらされたが、一方でプレスコットを応援する声も多く、事件の後プレスコットに激励の電話や手紙が殺到、遊説先では大歓迎されることもあった。ブレア首相はこの件に関し 「まぁ、ジョンだからな」と苦笑いし、「彼が私の代理でよかったと思うよ」と擁護した。

脚注

  1. ^ “Dissolution honours: John Prescott made a peer”. BBC News. (2010年5月28日). オリジナルの2017年9月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170908153334/http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/8711821.stm 2010年5月28日閲覧。 
  2. ^ "No. 59459". The London Gazette (Supplement) (英語). 15 June 2010. p. 11151.
  3. ^ Life Peerages – P”. Cracroft's Peerage. 2018年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月21日閲覧。
  4. ^ “Lord Prescott takes his place in the House of Lords”. BBC News. (2010年7月8日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/politics/10550850.stm 2010年7月8日閲覧。 
  5. ^ "No. 59485". The London Gazette (英語). 12 July 2010. p. 13181.
公職
先代
マイケル・ヘーゼルタイン
副首相
1997年 - 2007年
次代
ニック・クレッグ
先代
創設
環境・運輸および地域担当大臣
1997年 - 2001年
次代
廃止
党職
先代
マーガレット・ベケット
労働党副党首
1994年 - 2007年
次代
ハリエット・ハーマン




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