同盟の意味
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 04:10 UTC 版)
「信義」という言葉が紙切れに近かった戦国時代において、20年間も同盟関係が維持されたのは(後半10年間が完全な従属同盟であったことを考慮しても)異例のことである。またこの同盟は信長にとっては、家康を対今川・武田の「盾」として後顧の憂いなく美濃攻略・上洛に成功して西方に勢力拡大に乗り出す事が出来るようになった。一方家康は今川・武田・北条など自国よりも経済力、兵力に勝る勢力が相手だったこともあり、信長程の勢力拡大こそは果たせなかった。しかし、信長からの援助を取り付けられたこともあって、今川氏、武田氏といった強敵に滅ぼされることもなく、最終的には彼等から領地を奪っている。また苦境においても愚直にも西の信長への信義・忠誠を貫いた姿勢が内外における名声を高めて後年の天下取り(具体的には征夷大将軍の宣下)に役立ったと言われている。その後の日本の歴史を大きく左右することになった同盟といえるのである。
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