バルト海艦隊とコペンハーゲンの海戦
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「トマス・ハーディ (イギリス海軍)」の記事における「バルト海艦隊とコペンハーゲンの海戦」の解説
陸上で1年を過ごしたのち、ハーディは1800年12月に、修理が終わったばかりの5等艦サン・ジョセフ(英語版)の指揮を執るため、プリマスの乾ドックに向かった。1801年2月には、2等艦セントジョージ(英語版)に配属され、再びネルソンのフラッグキャプテンとなった。ネルソンは2度目のバルト海艦隊の指揮官の任務に就いていた。この艦隊は武装中立同盟からの撤退のため、デンマークの攻撃目的で派遣された。1801年4月1日の夜、ハーディはボートで、停泊中のデンマーク艦隊の回りの水深測定に派遣された。この船はかなり浸水し、そのため翌日のコペンハーゲンの海戦には参加できなかった。後になって、ハーディが行った仕事はかなり価値の高いものであることが証明された。この時座礁したのは、3等艦アガメムノンとベローナの2隻のみで、両艦は地元の案内人の指示を受けており、ハーディが勧めた針路に従っていなかった。ハーディはその年の8月までチャールズ・ポール(英語版)中将座乗の新艦隊のフラッグキャプテンを務め、そして4等艦イシス(英語版)の指揮を執った。
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