王権神授説
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王権神授説(おうけんしんじゅせつ、英: divine right of kings, divine right, God's mandate)または神授王権とは、「王権は神から付与されたものであり、王は神に対してのみ責任を負い、また王権は人民はもとよりローマ教皇や神聖ローマ皇帝も含めた神以外の何人によっても拘束されることがなく、国王のなすことに対しては人民はなんら反抗できない」とする政治思想のことである。
注釈
- ^ マルク・ブロックは、王家の正統なる男系君主が事例に則している。すなわち「王家」というよりは「王権」の、それも「男系の王権」に備わる霊威であるとする。ただし家門に付随する血統霊威という観点を導入すれば、王家に霊性の根拠を求める見方も採りうる。マルク・ブロックの見解にあっても、示される霊威について血統の観念は否定されていない。
- ^ ロックの『統治二論』(1690年)のうちの第一論は、フィルマーの唱えた王権神授説に対する反論であった。
- ^ 「油を塗られた者」というのが「メシア」という語の意味であるように、《聖油を塗る》という行為は一般に神と関連づけられた宗教的行為あるいは象徴的行為である。
- ^ 国家賠償の観点からは、19世紀後半にフランスでコンセユ・デタ(行政裁判所)の判例によって公役務過失ないし危険責任の理論により、国家の賠償責任を肯定するようになった。
出典
- ^ この節は全体的にマルク・ブロック『王の奇跡』に依拠している。
- ^ J・B・モラル 2002, p. 35.
- ^ マルク・ブロック『王の奇跡』
- ^ マルク・ブロックに従って実例を示せば、ジルベール・ラングレの『医療概論』(13世紀前半)、ロジェ・ド・パルムおよびロラン・ド・パルムの『外科学概論』に付された注釈(13世紀末〜14世紀初頭)、ベルナール・ド・グルトンの『医学の白百合』(16世紀以前)、ジョン・オヴ・ガジュデンの『実用医学』(16世紀以前)など。
- ^ エルンスト・H・カントローヴィチ『王の二つの身体』平凡社、p.102、R・W・サザーン『西欧中世の社会と教会』八坂書房、p.25
- ^ エルンスト・H・カントローヴィチ『王の二つの身体』平凡社、pp.320-323)
- ^ エルンスト・H・カントローヴィチ『王の二つの身体』平凡社、p.319)
- ^ エルンスト・H・カントローヴィチ『王の二つの身体』平凡社、p.138
- ^ (エルンスト・H・カントローヴィチ『王の二つの身体』平凡社、p.141)。
- ^ (井内太郎「国王の身体・儀礼・象徴」『支配の文化史』pp.14-35)
- ^ 大野(1975)
王権神授
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ヨーロッパでは、古代においては宗教的意味をもって王を殺害する習慣があったとする説がある。これは、王が本来人間の身でありながら、宇宙の秩序を司る存在として君臨していたことに由来し、そのための能力を失った王は殺害して新たな王を擁立して秩序を回復させる必要があると考える、神秘主義的な古代概念である。ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』の中でローマの逃亡奴隷の祭司長である「森の王」の殺害を取り上げている。 しかし、中世の封建社会では王(あるいは君主)を頂点とするヒエラルキーが完成し、近世の絶対主義の時代には教会とも結びついて、王権神授説を主張するようになったので、王を殺すことは道義的にも宗教的にも最大のタブーとされた。王の暗殺を企てた容疑を受けた者は、最大の苦痛を味わわせるための拷問処刑がしかるべきとされた。フランスのブルボン朝ではアンリ4世暗殺犯やルイ15世暗殺未遂犯に対して八つ裂きの刑を行って見せしめとした。
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