社会契約説の登場と王権神授説の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 02:03 UTC 版)
「王権神授説」の記事における「社会契約説の登場と王権神授説の影響」の解説
17世紀のイギリスでは清教徒革命や名誉革命などの市民革命の結果、議会王政が確立した。また、こうした情勢のなかで、君主の支配権は国民との契約によって認められたものであるとする社会契約説がトマス・ホッブズやジョン・ロックによって唱えられて、王権神授説はしだいに否定されていった。社会契約説はフランスにも伝わり、ジャン=ジャック・ルソーは人民主権の概念を打ちたてるにいたった。ロックやルソーの思想はフランス革命やアメリカ独立戦争にも大きな影響をあたえた。 ただし、今日においても、王権神授説はイギリス王室の戴冠式において、新国王に聖油をつける儀式などにその名残りが見受けられるとする指摘がある。王権神授説はまた、主権者無答責の原則の原初的な現れとして把握することができ、行政権が法の支配を受けるようになった近・現代史においても国家無答責の原則そのものは長く採用されてきた経緯がある。
※この「社会契約説の登場と王権神授説の影響」の解説は、「王権神授説」の解説の一部です。
「社会契約説の登場と王権神授説の影響」を含む「王権神授説」の記事については、「王権神授説」の概要を参照ください。
- 社会契約説の登場と王権神授説の影響のページへのリンク