ネパール内戦
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ネパール内戦(ネパールないせん)は、1996年から2006年にかけて、11年間にわたりネパール政府軍とネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)の間で繰り広げられた内戦。マオイスト側は人民戦争と呼んでいる。マオイストは「人民解放軍」を組織し、山間部、農村部を中心にゲリラ戦を展開。国土のかなりの部分(一説に8割)を実効支配した。
- ^ “Arms Transfers Database”. ストックホルム国際平和研究所. 2019年9月17日閲覧。
- ^ “PEOPLE'S REPUBLIC OF CHINA: China: Secretive arms exports stoking conflict and repression”. アムネスティ. 2019年9月17日閲覧。
- ^ “Chinese 'deliver arms to Nepal'”. BBC. (2005年11月25日) 2019年9月17日閲覧。
- ^ a b Ed Douglas. "Inside Nepal's Revolution..... (just to check..!!!)". National Geographic Magazine, p. 54, November 2005. Douglas lists the following figures: "Nepalis killed by Maoists from 1996 to 2005: 4,500. Nepalis killed by government in same period: 8,200."
- ^ 17,800 people died during conflict period, says Ministry of Peace
- ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.681
- ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.682
- ^ a b 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.683
- ^ a b c d e 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.684
- ^ a b 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.685
- 1 ネパール内戦とは
- 2 ネパール内戦の概要
- 3 参考文献
- 4 関連項目
ネパール内戦
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「ネパール内戦」および「ネパール共産党毛沢東主義派」を参照 話は前後するが、1995年3月、武装闘争により共産主義国家をめざすネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)が地下政党として組織された。1996年2月4日、その公然組織「統一人民戦線ネパール」の名で「40か条の要求」をデウバ政権につきつけ、拒否されるとそれを口実に2月13日各地で警察などを襲い、ゲリラ戦を開始した。マオイスト側はこれを「人民戦争」と呼んだが、一般には「ネパール内戦」といわれる。この内戦は2006年11月の「包括的和平協定」まで11年間続くことになる。マオイストは順次実効支配地域を広め、支配地域には「人民政府」を組織して共産主義による統治を行った。
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