2006年の包括的和平協定前
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「ネパール人民解放軍」の記事における「2006年の包括的和平協定前」の解説
1996年、ゴルカ、ロルパ、ルクム、シンドゥリの4郡で武装蜂起し、ネパール国軍や武装警察と10年間にわたる「人民戦争」(ネパール内戦)を戦った。農村部を中心に国土のかなりの部分(一説に8割)を実効支配し、支配地域に「人民政府」を組織した。外国からの援助はなく、武器や資金は警察や政府軍、銀行を襲うなどして調達した。約2万人の兵力があるといわれていたが、2009年5月5日に暴露されたビデオの中で、マオイストのプラチャンダ議長は「実際は7000人から8000人だ」と話している。 2001年8月、正式に軍隊として発足。プラチャンダ最高司令官の下で4人の副司令官プラバカール(ジャナルダン・シャルマ)、バルデブ(チャンドラ・プラカシュ・カナル)、パサン(ナンダ・キショール・プン)、アナンタ(バルサ・マン・プン)らが実戦を指揮した(プラチャンダ自身は戦闘期間中の多くをインドで過ごし、衛星電話で前線を指揮していた)。実戦を積み重ねる中で、「師団(Division、3000-4000人)」「旅団(Brigade、1000-1500人)」「大隊(Battalion、300-500人)」「小隊(Platoon)」「分隊(Squad)」といった組織が次第に整備された(下の組織から順に形成された)。2003年には2個師団、7旅団、19大隊が編制され、2005年には7個師団に増強されていた。
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