史料的制約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/25 07:12 UTC 版)
トゥドハリヤはヒッタイト新王国時代の祖とされる中興の王ではあるが、その記録はのちに書かれたかあるいは筆写されたもので、同時代の史料はほとんど存在しない。そのため文書の文面からの解釈に頼らざるを得ない状況であり、そもそも「トゥドハリヤ」という名前の王が何人いたのかも確定しておらず、文面には単に名前の「トゥドハリヤ」と記されるのみで何代目のトゥドハリヤかは明言されないので、それがどのトゥドハリヤにあたるのかは文脈から判断せざるを得ないのが実情である。このため2世と同一視して「Tudhaliya I/II」と表記されることさえある。 このような状況であるため、その在位年代や期間も確定は難しい。エジプトのファラオとの同時代性に基づいて大体の年代は推定されているが、それによればトゥドハリヤ1世が在位していたのは高位年代編年で紀元前1460年 - 1440年、中位で紀元前1450年 - 1420年、低位で紀元前1420年 - 1400年といった具合である。しかしこの同時代性を手がかりとした年代決定も19世紀の研究法を無批判に引用しているものであり、さらに科学的な再検討が待たれるところである。
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