土地・神殿領と王室領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 09:33 UTC 版)
「エジプト新王国」の記事における「土地・神殿領と王室領」の解説
各地の神殿はそれぞれ広大な耕作地を支配する土地所有者であった。第20王朝のラムセス4世時代に残された記録(ハリス・パピルス)によれば、この時代に神殿領はエジプトの全耕作地の3分の1、人口の5分の1を占めていた。更に諸神殿の間でも著しい偏在が存在し、アメン神殿を含むテーベ神殿群が占める財産の割合は全神殿の4分の3に達し、次に規模の大きいラー神殿を含むヘリオポリス神殿群にさえ大きく水をあけていた。 ハリス・パピルスに記された財産目録によれば、テーベ神殿群は86486人の奴隷、421362頭の牛、864168.25アロウラの土地、83隻の船舶、エジプトの都市56、シリア・クシュの都市9などを所有していた。第2位のヘリオポリス神殿群では奴隷12364人、牛45544頭、土地160084.75アロウラ、3隻の船舶を所有しているに過ぎない。ただし、都市に限れば103の都市を所有していた。第3位のメンフィス神殿群ではヘリオポリス神殿群のほぼ4分の1(土地は16分の1)に過ぎず、その他の地方神殿群は全て合計してもヘリオポリス神殿群の半分以下である。 この記録はアメン神殿が特に勢力を増した第20王朝時代に記録されたものであるため、アメン神殿の制御に力を注いだ第18、19王朝時代にはもう少し規模が小さかった可能性もあるが、記録が完全でないので比較が難しい。 これに対し王室領も存在した。王室領は、王の船着場領、王の農場、王のカート領、王のミン領、王の国庫領、王妃領、そしてハレム領など構成された。 史料的制約のため神殿領・王室領の時期毎の変遷や、経営の実態を明らかにすることは困難である。これらの領土は更に直営領や小作営領などに分類されている。また私有地については良くわかっていないが、小作営領を耕作する小作農民の間で、小作地として割り当てられた農地の「小作権」を世襲することで事実上土地を所有した「自由農民」が存在したことが知られる。
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