新発見の史料に見る勝蔵とは? わかりやすく解説

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新発見の史料に見る勝蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 05:28 UTC 版)

黒駒勝蔵」の記事における「新発見の史料に見る勝蔵」の解説

2013年平成25年)には山梨県立博物館における企画展黒駒勝蔵清水次郎長-時代動かしたアウトローたち-』展に際した調査活動により、勝蔵に関する新出史料見出された。 これは八代郡夏目原村笛吹市御坂町夏目原)の河野家伝来した河野家資料」の一部である二通文書無宿勝蔵・綱五郎動静ニ付書置」(便宜的に二点の文書を「A」、「B」と呼称される)。年記署名はないものの、河野家当主によって作成され文書であると考えられている。内容二通とも同様で、勝蔵その子分の五郎が、勝蔵同盟を結ぶ駿河宮島重太郎)の元に潜伏していることを伝えている。二通とも料紙寸法小さく粗悪な紙を用いており、これは秘密事項を記す目的であったためであると考えられている。 二通文書によれば勝蔵・綱五郎は年不詳8月頃宮島のもとを訪れ、綱五郎縁者である上黒駒村友吉同行していたという。 二通文書はほぼ同様の内容記しているが、Aは詳しく事情記しており、末尾には友吉女房語ったのであることが記されている。このためAの文書特定の人物宛てられたものではなく備忘録としての書式であると考えられている。一方、Bの内容潜伏先情報提供者のみを記した簡易的なものであることが指摘されるまた、二通文書には、「上黒駒村新宿 又次郎」の名が記されている。「又次郎」は、元治元年1864年)に勝蔵甲府城奪取計画してたとする噂があったことを記した官武通紀』に上黒駒村百姓として名が見られる人物で、勝蔵協力者であった考えられている。こうした事実から、髙橋修は黒駒勝蔵各地出没して清水次郎長抗争繰り広げ明治維新期には浪士達と関係を深め赤報隊身を投じることが出来た背景には、「又次郎」に代表される村落において支援者数多くいたことを指摘している。 加えて、『黒駒勝蔵清水次郎長』展に際した調査においては、同じ「河野家資料」から、勝蔵敵対した国分村国分三蔵に関する新出史料発見されている。従来国分三蔵元治元年勝蔵襲撃受けて以来消息不明とされていたが、「河野家資料によれば三蔵慶応3年1867年段階石和代官領の一之宮田安家中尾との間に発生した紛争において仲裁務めている。一之宮は同じ石和代官であった夏目原村居住し郡中総代務めていた河野家当主が側に仲裁依頼していたのに対し中尾田安家目明し存在であった三蔵仲裁依頼して事態解決図っていた。このため河野家当主三蔵対立関係にあった。なお、この紛争結末史料的制約から不明とされる黒駒勝蔵国分三蔵文久元年頃から激しく抗争繰り広げているが、勝蔵三蔵に関する新出史料発見から、村落間の紛争において三蔵河野家当主敵対関係にあり勝蔵交流関係深めこのように博徒間の抗争在地社会における村落間の紛争連動していて展開されていたことが指摘される

※この「新発見の史料に見る勝蔵」の解説は、「黒駒勝蔵」の解説の一部です。
「新発見の史料に見る勝蔵」を含む「黒駒勝蔵」の記事については、「黒駒勝蔵」の概要を参照ください。

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