新発見の史料に見る三蔵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 02:29 UTC 版)
三蔵については従来史料が希薄であったが、2013年には山梨県立博物館における『黒駒勝蔵対清水次郎長-時代を動かしたアウトローたち-』展に際した調査活動により新出史料が見出された。これは八代郡夏目原村(笛吹市御坂町夏目原)の「河野家資料」の一部「国分三蔵トノ懸合方ノ件ニ付書状」で、年記は無いが関連史料の存在から慶応3年(1867年)に推定される。 内容は地域社会における紛争に関するもので、三蔵が調停を行っていることが確認される。また、当史料により元治元年の黒駒勝蔵との出入以来不明であった三蔵の活動が確認され、三蔵が生涯にわたり国分村を中心に勢力を張った在地に根付いたことが明らかにされた。 甲州市勝沼町等々力の慶専寺にある三蔵の墓碑には、「明治2年4月21日没」とあり、これにより三蔵の没年が確定する。墓は十三回忌に当たる明治15年に、元子分や親族、地域の者たちによって建立されており、彼が「仏の三蔵」として地域に受け入れられた侠客であったことがうかがえる。
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