「民主化」以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 04:53 UTC 版)
1987年6月、最高潮に達した民主化闘争によって大統領直選制を軸とした民主化が実現した。民主化実現をめぐる対立軸の消滅で権威主義政権時代における政府党と野党による両党制は、特定地域に排他的支持基盤を有する三金(金泳三・金大中・金鍾泌)に代表される政治指導者を中心とした地域色が強い政党による多党制へと変化した。 初の大統領選挙において野党(統一民主党)は両金(金泳三・金大中)の候補者一本化に失敗、金大中が新党(平和民主党)を結成したことで分裂した。そして第三・四共和国時代における与党(民主共和党)の有力政治家で大統領選に出馬した金鍾泌も新党(新民主共和党)を結成した。この結果、権威主義体制時代における両党体制は、三金が結成した政党に全斗煥与党である民正党を加えた四党制(穏健な多党制)に再編された。 その後、1990年の三党合同(民正党・民主党・共和党)で発足した民主自由党(民自党)の流れを汲み嶺南地方(慶尚道)を支持基盤とする嶺南政党(現・自由韓国党)と金大中が結成した平民党の流れを汲み湖南地方(全羅道)を絶対的支持基盤とする湖南政党(現・共に民主党)の両党に、民自党と袂を分かった金鍾泌が忠清道を支持基盤として95年に結成した自民連の流れを汲む忠清道政党(現在はセヌリ党に吸収)を加えた三党制に再編された。2000年総選挙以降、忠清道政党が没落したことで嶺南を基盤とする保守政党と湖南を絶対的支持基盤とする進歩政党による二大政党制の様相が強く、直近の2020年選挙では地域区における第3党の当選者が正義党の1名に留まり、二大政党で殆ど占める結果となった。 国会議員選挙では、各政党がそれぞれの地盤で支持を固め、地域主義の影響力が比較的弱い首都圏において保守政党と進歩政党が多数派を競い合う構図となっている。この構図は大統領選挙でも同様で、保守政党と進歩政党以外の政党から出馬している大統領候補は当選可能性が高い有力候補とはみなされていない。ちなみに1997年大統領選挙において野党国民会議の金大中候補が与党ハンナラ党の李会昌候補に勝利し、韓国憲政史上初めて与野党間での平和的政権交代が実現したが、この時は自民連との選挙協力(湖南+忠清道)、ハンナラ党の予備選挙で敗北した李仁済がハンナラ党を脱党して出馬したことが、勝利に大きく貢献 している。
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