ギリシャによる統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 07:59 UTC 版)
1862年、ギリシャ軍のクーデターでオソンが退位させられ、英国寄りのゲオルギオス1世が即位した。イギリスは新国王支持の姿勢の表明として、同年のうちにイオニア諸島の返還に合意した。ケルキラ島のコルフ港使用権を引き続きイギリスが保持する条件で、1864年6月2日にイオニア諸島はギリシャに引き渡された。なお、イギリスのエリザベス2世の夫(王配)であるエディンバラ公フィリップはゲオルギオス1世の孫であり、1921年にケルキラ島で生まれている。 1941年にドイツ軍によってギリシャが占領されると、キティラ島を除いたイオニア諸島はイタリア領となった。イタリアは島の住民のイタリア化政策を押し進めたが、住民がこれを受け入れるべくもなかった。1943年にイタリアが連合国に降伏するとドイツ軍が島を占領し、ケルキラ島のユダヤ人を強制収容所に送り込んだ。ケファロニア島では、ドイツ軍によりイタリア人捕虜の集団殺害事件も起こっている。1944年までにイオニア諸島の大部分は共産ゲリラELASの支配下に入り、それから今日に至までイオニア諸島では政治的に左翼支持が続いている。1974年の民主化以後に行われた選挙では常に社会民主主義政党である全ギリシャ社会主義運動(PASOK)が支持を集めている。
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