ギリシャにおけるアルーマニア人とは? わかりやすく解説

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ギリシャにおけるアルーマニア人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 02:57 UTC 版)

アルーマニア人」の記事における「ギリシャにおけるアルーマニア人」の解説

ギリシャではアルーマニア人少数民族と見なされずギリシャ人であるとされている。彼らの起源について対立する仮説提示されている。ルーマニア側の学説によると彼らはドナウ地方から北部ギリシャ移住したとされる9世紀まではアルーマニア人ルーマニア人が同じ俗ラテン語方言使用していたことは明らかである。 アルーマニア人ギリシャ独立戦争においても重要な役割果たした。アルーマニア系のギリシャ人としては初期首相イオアニス・コレティスバルカン戦争中の国防大臣のエヴァンジェロス・アヴァロフ、詩人のコンスタンティノス・クリスタリスなどがあげられるアルーマニア人対す同化政策18世紀までさかのぼる。ギリシャ正教神父コスマス・アイトロス(1714年 - 1779年)は北部および西部ギリシャ100をこえる学校をつくり、アルーマニア人ギリシャ語教えたピンドス山脈一帯山岳地帯住んでいたアルーマニア人にとって、母語教育を受ける機会はほとんどなかった。ルーマニア政府1948年までアルーマニア語教育為に援助送っていたが、共産党政権誕生するとそれも途絶え、現在ではアルーマニア語による教育行われていない。ギリシャにおけるアルーマニア人の同化時間の問題見られている。 欧州議会委員会1997年アルーマニア人に関するレポート発表しギリシャ政府に対してアルーマニア人文化尊重し学校教会およびメディアにおいてアルーマニア語使用促進するように求めた。しかし、アルーマニア人コミュニティには自身ギリシャ人であるとみなす派とアルーマニア人としてのアイデンティティ主張する一派存在している。1998年コンスタンディノス・ステファノプロス大統領イピロス地方のメツォヴォ(英語版)を訪れた際にアルーマニア人に対して自身言葉話し教育を受けるように呼びかけたが、それから現在に至まで実質的に何の働きかけなされていない。

※この「ギリシャにおけるアルーマニア人」の解説は、「アルーマニア人」の解説の一部です。
「ギリシャにおけるアルーマニア人」を含む「アルーマニア人」の記事については、「アルーマニア人」の概要を参照ください。

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