ギリシャと『マジカル・ミステリー・ツアー』
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「マル・エヴァンズ」の記事における「ギリシャと『マジカル・ミステリー・ツアー』」の解説
ビートルズとエヴァンズは、ギリシャ生まれの友人で、後にアップル・コアのエレクトロニクス部門の責任者となるマジック・アレックス(英語版)(本名はYanni Alexis Mardas)からの勧めにより、1967年終わり頃、島を購入するため当地へ旅立った 。計画の概要では、ビートルズのメンバーは島内で、中央のドームとトンネルで連結されたそれぞれ独立した住まいに居住することになっていた。この計画にはエヴァンズとその家族も参加することになっていたが、マッカートニーが参加を拒否したため計画は頓挫した。 1967年当時、マッカートニーはハウスキーパーを雇用していなかったため、エヴァンズはセント・ジョンズ・ウッド(英語版)、キャヴェンディッシュ・アヴェニューのアビー・ロード・スタジオ近くにある彼の自宅に移り住んだ。マッカートニーが最初のオールド・イングリッシュ・シープドッグ、「マーサ」(Martha)を買ったのもこの家でのことであるが、犬がベッドを汚す、とエヴァンズはしばしば不満を述べた。エヴァンズは後にサンバリー=オン=テムズ(英語版)に自分の家を購入したが、その家はビートルズの各メンバーの自宅の中間であった。映画『マジカル・ミステリー・ツアー』の撮影中の自分の仕事についてエヴァンズは、「4人から同時に6つのことを要求されるので、優先順位を決めるのには直感や経験が頼りだった。全てが順調に進んでいて、いつものようにレコーディング作業に取り掛かれると分かるまでの最初の数日間は、彼らはまったくやっかいな奴らだった。 ... それから僕は、無数のお茶や野菜サンドウィッチ、ベイクドビーンズのトースト載せを用意する合間に、時間を見つけてはコントロールルームでレコーディングを聴いていた。」と記している。 『マジカル・ミステリー・ツアー』のサウンドトラックのレコーディングが終わると、エヴァンズとマッカートニーはフランスのニースへ、「フール・オン・ザ・ヒル」のシーンの撮影に出かけたが、マッカートニーはパスポートも持たず、手ぶらで出かけてしまった。マッカートニーは「僕が誰だか知っているだろう。」と言って税関を通過したが、ニースのホテルでは「らしく見えない」という理由で、レストランの入店を断られたため、エヴァンズの宿泊する部屋で食事するはめになった。携行してきた現金を全て衣服の購入に費やしてしまったため(エプスタインの事務所NEMSが追加で送金することになっていた)、2人はナイトクラブに2晩、信用払いで通った。エヴァンズは、「イギリスからまだ現金が届いていなかったので、僕達は自分達に対する信用を利用した。ポールがそのクラブを訪れるというニュースが前夜に広まっていため、クラブは大混雑になった。すでに一般人になっていたポールは、マネージャーがすぐに代金を支払うように要求しに来た時には、バーのツケがかなり溜まっていた。ポールが誰で、どのような事情なのか説明しても彼は、「どちらかが代金を払わないと警察を呼ぶ」と答えた。僕達は本当に刑務所に放り込まれそうだった。代金を払えない大金持ちと一緒にクラブに座っているなんて、なんとも皮肉なことだった。」と記している。
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