社会労働党書記長時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 08:59 UTC 版)
「ペドロ・サンチェス」の記事における「社会労働党書記長時代」の解説
野党党首任命後、サンチェスは社会労働党の統一と旧有権者の信頼を取り戻す必要性にせまられた。結局、旧有権者の25%は新しい政党ポデモスを選択した。またアンダルシアの社会労働党との緊張への対処も課題だった。 自身の存在を知らせるため、彼は多数のテレビ番組に登場するようになった。 はじめのうち、ポデモスはしばしばサンチェスを「ポピュリスト」と呼んだが、サンチェスはポデモスを「イデオロギー的日和見主義」と呼んで非難した。 サンチェスはスペインの国家モデルとして、独立主義(independencia)ではなく連邦モデル(un modelo federal para España)を提案するとともに、ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ前首相の制定した憲法135条を改正し、宗教的な要素を排除して、教育制度の世俗主義化を強化すると主張した。 サンチェスはセサル・ルエーナ・ロペス(スペイン語版)をナンバー2に任命した。2015年2月、マドリード州パルラの路面電車の追加費用の調査のため、トマス・ゴメス・フランコ(スペイン語版)をマドリード州支部書記長職から解任した。 2015年6月21日、サンチェスはスペイン首相の正式な党候補者として宣言された。2015年12月20日に行われた総選挙で社会労働党は90議席となり、第2政党にとどまった。翌2016年2月2日、サンチェスは首相候補者としてフェリペ6世国王によって推薦された。 2月24日、社会労働党は総選挙で40もの議席を獲得したシウダダノス党とサンチェス擁立で合意した。しかし、3月4日の2回目の票決で議会は賛成131票(社会労働党、シウダダノス、カナリア連合)、反対219票(残りの下院議員)でサンチェス擁立を見送った。スペイン民主化以後、はじめて首相候補が2度目の投票で議会の信任を得られないという結果に終わった。 2016年、社会労働党は85議席という民主化以後最低の議席数となった。ラホイ首相の提案による国民党(PP)とシウダダノスの協定の後、サンチェスは国民党政府に「NO」を繰り返し投票した。 ラホイの協定が失敗におわると、彼は「変革の力(ポデモスとシウダダノス)」に国民党に代わる政府を可能にするように要請した。
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