進歩政党とは? わかりやすく解説

進歩政党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 04:53 UTC 版)

大韓民国の政党」の記事における「進歩政党」の解説

社会主義社会民主主義提唱する進歩政党は、南北分断朝鮮戦争強化され反共主義民主化後の政党体制規定した地域主義阻まれ活動制約されてきた。しかし、金大中政権の下で推進され太陽政策等による政界国民政治意識における反共主義緩和進歩的志向が強い386世代台頭活動活発化、二票制(地域区と比例代表個別分離して投票を行う方式)の導入比例代表議席配分方法政党投じた得票比例して配分 する方式改正され2004年総選挙では労働組合民主労総)が主体となって2000年結成され民主労働党(民労党)が院内進出成功したが、地域主義依拠し二大政党の壁に阻まれて、少数派に留まっている。 民労党は親北路線の色彩が強い対北朝鮮政策反発したグループ2008年進歩新党結成したことで分裂2008年総選挙支持大きく減らす結果となった2011年12月国民参与党盧武鉉大統領側近であった柳時敏中心とする親盧勢力によって2010年1月結成)及び統合連帯正式名称新し進歩統合連帯」。進歩新党脱党した魯会燦沈相奵及び趙承洙によって結成され政治グループ)と合同し統合進歩党結成2011年4月国会議員補欠選挙2012年総選挙では最大野党民主統合党選挙協力(野圏連帯)を行った。しかし、比例候補予備選不正事件きっかけとした党内抗争により進歩党反主流派離党したことで分裂反主流派新たに進歩正義党結成したその後進歩党2014年12月憲法裁判所宣告によって解散 されたことで、国会議席を持つ進歩政党は正義党のみとなっていたが、2017年に旧進歩党関係者中心に結成され民衆党進歩系の無所属議員入党したことで進歩系の院内政党2つとなった。 表6「進歩政党の沿革主な支持基盤党名概要労働運動社会運動 民衆党 1990年〜1992年 在野活動家によって結成民主労働党 2000年〜2011年 全国民主労働組合総連盟労働組合)を母体として発足統合進歩党 2011年〜2014年 民労党と参与党及び統合連帯の3党派合同し結成2014年12月憲法裁判所宣告によって解散進歩新党 2008年〜2013年 民労党の親北路線批判的な勢力結成社会党 1998年2013年 青年進歩党前身社会的共和主義掲げ政党正義党 2012年統合進歩党離党派が結成結成当初は「進歩正義党」を名乗っていた。 労働党 2013年〜 2012年進歩新党社会党合同したのち、2013年7月に現党名改称民衆党 2017年2014年強制解散され統合進歩党関係者中心として結成

※この「進歩政党」の解説は、「大韓民国の政党」の解説の一部です。
「進歩政党」を含む「大韓民国の政党」の記事については、「大韓民国の政党」の概要を参照ください。

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