進歩政党
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社会主義や社会民主主義を提唱する進歩政党は、南北分断と朝鮮戦争で強化された反共主義と民主化後の政党体制を規定した地域主義に阻まれ、活動を制約されてきた。しかし、金大中政権の下で推進された太陽政策等による政界や国民の政治意識における反共主義の緩和と進歩的志向が強い386世代の台頭で活動が活発化、二票制(地域区と比例代表で個別に分離して投票を行う方式)の導入で比例代表の議席配分方法が政党に投じた得票に比例して配分 する方式に改正された2004年総選挙では労働組合(民主労総)が主体となって2000年に結成された民主労働党(民労党)が院内進出に成功したが、地域主義に依拠した二大政党の壁に阻まれて、少数派に留まっている。 民労党は親北路線の色彩が強い対北朝鮮政策に反発したグループが2008年に進歩新党を結成したことで分裂、2008年総選挙で支持を大きく減らす結果となった。2011年12月、国民参与党(盧武鉉大統領の側近であった柳時敏を中心とする親盧勢力によって2010年1月に結成)及び統合連帯(正式名称「新しい進歩統合連帯」。進歩新党を脱党した魯会燦や沈相奵及び趙承洙によって結成された政治グループ)と合同して統合進歩党を結成、2011年4月の国会議員補欠選挙と2012年の総選挙では最大野党の民主統合党と選挙協力(野圏連帯)を行った。しかし、比例候補予備選不正事件 をきっかけとした党内抗争により進歩党反主流派が離党したことで分裂。反主流派は新たに進歩正義党を結成した。その後、進歩党が2014年12月に憲法裁判所の宣告によって解散 されたことで、国会に議席を持つ進歩政党は正義党のみとなっていたが、2017年に旧進歩党関係者を中心に結成された民衆党に進歩系の無所属議員が入党したことで進歩系の院内政党は2つとなった。 表6「進歩政党の沿革」主な支持基盤党名年概要労働運動や社会運動 民衆党 1990年〜1992年 在野の活動家によって結成。 民主労働党 2000年〜2011年 全国民主労働組合総連盟(労働組合)を母体として発足。 統合進歩党 2011年〜2014年 民労党と参与党及び統合連帯の3党派が合同して結成。2014年12月に憲法裁判所の宣告によって解散。 進歩新党 2008年〜2013年 民労党の親北路線に批判的な勢力が結成。 社会党 1998年〜2013年 青年進歩党が前身。社会的共和主義を掲げる政党。 正義党 2012年〜 統合進歩党離党派が結成。結成当初は「進歩正義党」を名乗っていた。 労働党 2013年〜 2012年に進歩新党と社会党が合同したのち、2013年7月に現党名に改称。 民衆党 2017年〜 2014年に強制解散された統合進歩党の関係者を中心として結成。
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