統合進歩党時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 14:09 UTC 版)
2012年に行われる国会議員選挙と大統領選挙において、進歩主義陣営が勝利するためかつて袂を分かった民労党との再統合の議論が進められたが、2011年9月4日に行われた進歩新党の党大会において合党案が否決されたことで挫折した。これに対してあくまで統合推進する立場を崩さない沈相奵は、魯会燦とともに「大衆的な統合進歩政党を建設するため」として、9月23日に離党を表明した。背景には25日の民労党党大会を前に、進歩統合の主役として自分たちの存在と立場を示す必要があったと見られている。民労党と参与党及び統合連帯の3党派が12月5日に合同して発足した統合進歩党の共同代表に就任した。2012年4月に行われた第19代総選挙では前回出馬した京畿道高陽市徳陽区甲選挙区より野党統一候補として出馬、相手候補を全国最少票差となる170票差で下して当選を果たした。 総選挙後、統合進歩党の党権を掌握しているとされる京畿東部連合や対北朝鮮政策について「統合進歩党が大衆的な進歩政党に発展するに重要な改革の課題」とラジオ番組で述べ、党改革の必要性を明らかにした。また選挙後に発覚した比例代表候補選出不正疑惑に対しても、比例代表予備選名簿候補の全員辞職を含めた党刷新をすすめ、非常対策委員会発足に伴い共同代表を辞任した。7月10日に開かれた議員団総会で統合進歩党の新たな院内代表に選出された。しかし、7月26日に行われた議員団総会で不正選挙の当事者である李ソッキ・金ジェヨン両議員に対する除名が否決された責任を取って、辞任を表明した。
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