統合野党「新民党」結成
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「韓国における政党史」の記事における「統合野党「新民党」結成」の解説
旧派系(民政党)と新派系(民主党)で分裂していた野党勢力は、1965年4月の日韓会談協定案の仮調印に対する反対闘争を契機に合同を推進し、同年5月に結党宣言、6月14日に全党大会を開いて保守野党勢力を統合した「民衆党」を発足させた。しかし、日韓協定の批准を阻止するための手段として尹潽善旧民政党総裁を中心とする強硬派が国会議員総辞職を主張したのに対し、議会内闘争を重視する穏健派(柳珍山派)がこれに反対して対立、強硬派が民衆党を脱党して1966年3月に「新韓党」を結成し、一年足らずで野党勢力はまたもや分裂する事態となった。 第6代大統領選挙を前に、前回選挙で野党勢力が分裂したことで朴正煕に敗北した教訓から、再び野党勢力統合の動きが具体化された。そして1967年2月7日に民衆党と新韓党の統合大会が開催され、「新民党」が正式に結成された。同時に行なわれた大統領候補指名大会では尹潽善が大統領候補に指名された。しかし、大統領選挙では旧民衆党と旧新韓党系の連携が充分にできなかったこともあり、共和党の朴正煕に前回より大差をつけられて破れ、政治的権威が失墜した尹潽善は政治の第一線から退くことになった。
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