統合野党「民主党」結成とは? わかりやすく解説

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統合野党「民主党」結成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/11 13:46 UTC 版)

韓国における政党史」の記事における「統合野党「民主党」結成」の解説

1954年四捨五入改憲きっかけに、民国党自由党から排除され勢力や反李承晩無所属勢力結集した民主党」(1955年9月)が結成された。翌1956年正副大統領選挙では、選挙運動最中正大統領候補申翼熙遊説中に急死する悲運見舞われたが、副大統領候補張勉自由党李起鵬候補破って当選果たし李承晩政権への不満を反映する結果となった直後行われた地方選挙では市・邑・面の首長および議会選挙自由党圧勝したが、ソウル特別市・道議会選挙では民主党ソウル特別市議会圧勝その他の都市部でも優位に立った2年後の第4代総選挙1958年5月2日)では、自由党過半数維持したものの、都市部中心に民主党躍進して憲法改正阻止線である三分の一単独確保することに成功した。“圧倒的な資金力人的動員力を誇り農村部地盤とする政府党”と“都市部地盤とし、資金力人的動員力に劣る保守野党”を主軸とした第六共和国までの韓国における政党政治基本的構図(与村野都)がこの選挙形成されることになった1956年大統領選挙善戦した曺奉岩は、韓国における本格的革新政党先駆けである進歩党結成し支持拡大図った。しかし、第4代総選挙目前にした1958年1月曺奉岩以下党幹部多数国家保安法違反容疑逮捕され進歩党事件)、党も解党処分受けた。そして、曺奉岩処刑されたため、第一共和国時代における革新勢力活動は、停滞余儀なくされた。

※この「統合野党「民主党」結成」の解説は、「韓国における政党史」の解説の一部です。
「統合野党「民主党」結成」を含む「韓国における政党史」の記事については、「韓国における政党史」の概要を参照ください。

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