統合野党「民主党」結成
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「韓国における政党史」の記事における「統合野党「民主党」結成」の解説
1954年の四捨五入改憲をきっかけに、民国党や自由党から排除された勢力や反李承晩無所属勢力を結集した「民主党」(1955年9月)が結成された。翌1956年の正副大統領選挙では、選挙運動最中に正大統領候補の申翼熙が遊説中に急死する悲運に見舞われたが、副大統領候補の張勉が自由党の李起鵬候補を破って当選を果たし、李承晩政権への不満を反映する結果となった。直後に行われた地方選挙では市・邑・面の首長および議会選挙で自由党が圧勝したが、ソウル特別市・道議会選挙では民主党がソウル特別市議会で圧勝、その他の都市部でも優位に立った。2年後の第4代総選挙(1958年5月2日)では、自由党は過半数を維持したものの、都市部を中心に民主党が躍進して憲法改正阻止線である三分の一を単独で確保することに成功した。“圧倒的な資金力と人的動員力を誇り、農村部を地盤とする政府党”と“都市部を地盤とし、資金力と人的動員力に劣る保守野党”を主軸とした第六共和国までの韓国における政党政治の基本的構図(与村野都)がこの選挙で形成されることになった。 1956年大統領選挙で善戦した曺奉岩は、韓国における本格的革新政党の先駆けである進歩党を結成し、支持拡大を図った。しかし、第4代総選挙を目前にした1958年1月に曺奉岩以下党幹部多数が国家保安法違反容疑で逮捕され(進歩党事件)、党も解党処分を受けた。そして、曺奉岩が処刑されたため、第一共和国時代における革新勢力の活動は、停滞を余儀なくされた。
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