進歩思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 07:33 UTC 版)
「ジュリアン・ハクスリー」の記事における「進歩思想」の解説
ハクスリーは広い意味で進化が生物の進歩につながったと考えていた。「ゴールのない進歩」は彼のフレーズの一つで、アリストテレスの古典的な目的論とは区別した。「一般人、あるいは少なくとも普通の詩人、哲学者、神学者は常に進化のプロセスの中で目的を見つけることを切望していた。私はこの推論が完全に間違っていると思う」。 進化的進歩の概念は20世紀後半に厳しい批判を浴びた。たとえば分岐学者は、科学的な意味である生物が「より進化して」いて別の種が「進化していない」という表現に強く反対した。しかし皮肉にもクレードやグレードといった分岐学の用語を提案したのはハクスリーだった。この問題に関してハクスリーは「持続的な形態」の概念を(少なくとも人生の前半では)強調し、殆どどんな進歩でも拒否する直前だった祖父のトマスと正反対の位置にいた。 『進化:現代的総合』の最終章で進化的進歩を「生物学的効率性の上位レベルの登場、これは環境の制御・環境からの独立の度合いを増すこと」と定義した。 「自然選択と時間は生物学的改善をもたらす(「改善」は生物学で認められた用語ではない)が、生物は進化の過程で改善される…ダーウィンは一般的な自然選択の結果にこの語を用いることを恐れなかった…私は「改善」が進化生物学の重要なコンセプトとなると信じている」「それは科学的に定義できるだろうか?生物学的機構の改善…馬が草を食べるための脚や歯…知能の増大…どの方向でもあたりを見渡すことができるトンボの目は初期の生物形態の単なる微細的な眼が進歩したものだ」 「[しかし]改善は一般的ではない。下位の形態はより上位の形態のそばで生き残ることができる」 進化的進歩の概念は古い歴史を持つ。ダーウィン以前には人が自然のピラミッドの最上位に立っているという概念が問題なく受け入れられていた。問題は自然選択による進化がそれほど単純ではないことだった。ダーウィンの見解はたびたび変化した。エリオット・ソーバーが指摘したように、自然選択の理論の中には複雑さやそのほかいかなる尺度であれ進歩を増大させる要素がない。ダーウィンは「博物学者は何が高等で何が下等かを表す、互いを満足させるような定義をまだ持っていない」と述べた。これは現在でもそうである。他の進化生物学者、たとえばステビンスやレンチェの中にもハクスリーに似た考えがあった。前進進化(anagenesis:種全体が同じ方向に進化すること)は改善を意味しないが、現在でも用いられている。
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