帰属と意味
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 01:25 UTC 版)
ウィクショナリーに関連の辞書項目があります。巨人の肩に立つ この言葉は古代文化の偉大さを認め継承した上で進歩を意識する、12世紀ルネサンス期の人文主義における穏健な進歩思想(英語版)を象徴したものとされ、シャルトル学派のシャルトルのベルナールに帰せられている。文献上の出典は、ソールズベリのジョン(英語版)が1159年の著書『メタロギコン』(Metalogicon) で次のように述べた箇所である。 私たちは巨人の肩の上に乗る小人のようなものだとシャルトルのベルナールはよく言った。私たちが彼らよりもよく、また遠くまでを見ることができるのは、私たち自身に優れた視力があるからでもなく、ほかの優れた身体的特徴があるからでもなく、ただ彼らの巨大さによって私たちが高く引き上げられているからなのだと。(ラテン語: Dicebat Bernardus Carnotensis nos esse quasi nanos gigantum umeris insidentes, ut possimus plura eis et remotiora uidere, non utique proprii uisus acumine, aut eminentia corporis, sed quia in altum subuehimur et extollimur magnitudine gigantea. など) ベルナールはここで同時代(12世紀)の学者を古代ギリシア・ローマの学者と比べていたのだとされる。この言葉は古代に対する同時代の劣等感と同時代における進歩への自信との両面性をもっている。のちのルネサンス期の新旧論争では、古代派と近代派の両方がそれぞれ力点を変えてこの言葉を援用した。 なお、同じくシャルトル学派でジョンの先学、ベルナールの後学にあたるコンシュのギョーム(英語版)が著書『プリスキアヌス註釈』で似た文脈で似た表現を使っていることを Max Kerner(ドイツ語版) や Édouard Jeauneau は指摘した。ギョームはプリスキアヌスの「若いほどものがよく見える」(ラテン語: quanto sunt iuniores, tanto perspicaciores)という言葉を解釈するにあたって、現代がよって立つ古代を巨人にたとえた。 シャルトルのベルナールに由来するとされるこの構図はシャルトル大聖堂のステンドグラスに見ることができる(製作年代は13世紀初頭)。大聖堂南翼廊のバラ窓下の縦長の窓には、旧約聖書の4人の預言者(イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル)が大男として、新約聖書の4人の福音書記者(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)が彼らの肩の上に座る普通の大きさの人として描かれている。上方に描かれたメシアに福音記者と預言者が目を向ける形の図であり、肩の上の小さな福音記者のほうがより遠くまで見ることができる様子が示されている。 この言葉はトサフィスト(ユダヤ教の聖典の註解学者)イザヤ・ディ・トラニ(英語版)(1180年頃 - 1250年頃)のレスポンサ(英語版)(ラビ回答集)にも見ることができる。 博識な賢者にかく問う者があった。「先人は我々自身よりも賢明であったことを我々は認める一方で、先人の見解を批判し、しばしば否定し、真実は我々とともにこそあると主張する。これ如何に。」賢者答えて曰く、「矮人と巨人、いずれが遠くまで見渡せるか。無論、目が矮人よりも高くに位置する巨人である。しかし矮人が巨人の肩の上に乗せられたならば、いずれが遠くまで見渡せるか。 … つまり我々もまた、巨人の肩にまたがった矮人である。我々は彼らの知識から学び、さらに先へと進む。彼らの知識により我々はより多くを学び、言うべきことを言えるようになるが、これは我々が彼らよりも優れているからではない。」 この言葉の原典を16世紀の神学者ディエゴ・エステラ(スペイン語版、英語版)に求める説がロバート・バートン(英語版)による言及などを通じて流布していたが、その説が誤りであることをロバート・キング・マートンが1965年の著書 On The Shoulders of Giants: A Shandean Postscript で明らかにした。
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