帰属の変更と増設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 08:25 UTC 版)
1938年4月、特殊会社日本発送電を通じた政府による発送電の管理を規定した「電力管理法」が公布され、続く同法施行令で出力1万キロワット超の火力発電設備は日本発送電に帰属するものと定められた。これに従い同年8月、西部共同火力発電は戸畑発電所を日本発送電設立の際に同社へ出資するよう逓信大臣より命ぜられた。出資設備の評価額は784万8341円50銭で、出資の対価として日本発送電の額面50円払込済み株式15万6966株(払込総額784万8300円・出資対象33事業者中14位)が交付されている。翌1939年(昭和14年)4月1日、日本発送電は設立され戸畑発電所を継承。全設備を同社へ出資した西部共同火力発電は同時に解散した。 日本発送電への引継ぎ時点における戸畑発電所の認可出力は5万3000キロワットで、さらに4号機(5万キロワット発電機)を増設するという第3期工事が進展中であった。4号機はその後1940年(昭和15年)11月に竣工し、発電所認可出力は10万6000キロワットとなった。1942年(昭和17年)11月にはボイラーが1缶追加され、認可出力は13万3000キロワットへとさらに引き上げられている。 太平洋戦争後、燃料炭の炭質低下によって発電可能な出力が10万キロワットに低下したことから、当時の深刻な電力不足も鑑みて早急に発電力を増強すべくボイラーを2台増設することとなった。この計画により1950年(昭和25年)1月に7号ボイラー、同年4月に8号ボイラーが竣工している。翌1951年(昭和26年)5月1日、電気事業再編成による日本発送電解体に伴い戸畑発電所は許可出力13万3000キロワットのまま九州電力へと継承された。
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