民労党との決別
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非常委員長に就任した沈相奵は、まず最初に、党の古い要素を果敢に革新すること、次に強力な進歩野党を建設すること、その次に民労党の裾野の拡大を3大目標として約束した。民労党の古い要素の革新とは「運動圏政党」、「民主労総政党」、「親北党」などと揶揄された国民の叱責と警告を謙虚に受け止め、新たな出発を期さなければならないと主張した。 すなわち、民労党は運動圏政党を乗り越え、大衆的進歩政党に脱皮しなければならないと主張した。沈委員長は、過去、運動圏の用語と惰性を、進歩的だと考える錯覚がある限り、民労党は国民にとって古くて受け入れ難い党だと言う他なく、国民と意思疎通をしなければ信頼もされず、検証可能な対案を提示しなければならないと主張した。国民との疎通を妨げる制度だけではなく、習慣からも訣別し、単なる批判勢力に過ぎない現状を乗り越え、大衆的進歩政党に姿を変えなければならないとした。 特に、民労党は「大企業正社員党」だとする国民の批判を受け止め、民主労総に対する過度の依存構造を改革し、非正社員の立場をも代弁し得る独自の運動戦略を立てると約束した。ましてや親北に偏った政党というイメージを断ち切るため、民労党に対する誤解と不信を生み出した一心会事件に対して、公党に相応しい責任ある処分を下し、韓国の進歩政党に相応しい平和統一に対する独自の視点と、民族主義問題に関する幅広い討論と論戦を通して、再出発すべきだと公約した。 次に、強力な進歩野党の建設のためには、李明博政府の 財閥を庇護する経済 土建開発主義 勝者に有利な競争教育 に対して、 庶民主体の経済 生態国家 平等教育・人間教育の価値 を押し立てることを提案した。 これに対して、非常委の傘下に、李明博政府対応大運動本部(仮称)を設置し、汎社会市民運動系を結集し、李明博政府に対する徹底した対応体制を取らなければならないとした。沈委員長は、賛成か反対かを論じるだけの野党ではなく、政権が掲げる政策よりも、よりよい政策を掲げて国民に評価される強力な対案野党に姿を変えるべきだと公約した。 その次に、民労党の裾野の拡大のために、同党が固執していた党派談合や、覇権構造を止揚して、民労党の扉を進歩陣営全体に向けて果敢に開放すると公約した。特に、比例代表制は、民労党の価値と可能性を国民に示す武器として、進歩政党最初の影の内閣を作ると宣言した。 沈委員長は、これを通して生活の中に進歩を実現する進歩的大衆政党に自己成長するため、今までの7年間の民労党の体制を乗り越え、変化と革新を実現し、これを通して国民の生命と生活を変化させ得る生活の中で進歩を実現する大衆的進歩政党に進むと宣言するのではなく、大衆の生命と生活を変化させる責任があり、能力ある進歩を指向すべきだと表明した。 しかし、沈非常委委員長の革新と変化のための努力は、党内の2つの覇権勢力(NL:自主派 VS PD:平等派)の対立の中で、暗礁に乗り上げた。いわゆるPD陣営の一部は、民労党の失敗の原因を、いわゆる征服主義と規定して脱党運動を主導した。反対に、党内多数派のNL派は、一進会事件に関与した者の除名処分は、国家保安法に屈服するものだとして、積極的に非常委の努力を批判した。沈非常委委員長は、民労党の腐敗から目をそむけており、高い視点を持った進歩政治の不在から解放されなければならないと力説した。2つの覇権グループの対立を治めるには、力不足だった。 以後、2008年2月3日の党大会で、非常対策委員会の革新案を否決され、沈相奵は委員長に与えられていた責任と権限を事実上否定された。民労党は、分裂の危機に陥った。
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