民労党からの離党、新党結成とは? わかりやすく解説

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民労党からの離党、新党結成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 15:34 UTC 版)

労働党 (韓国)」の記事における「民労党からの離党、新党結成」の解説

民労党内には大きく分けて親北路線を採る「自主派」と親北路線異議を唱える平等派」の2つグループ存在していたが、2007年12月大統領選挙権永吉候補が、創造韓国党文国候補下回る3%の得票留まり敗北喫したことで、「自主派」と「平等派」の対立表面化した大統領選敗北後2008年1月結成された非常対策委員会委員長沈相奵)によって提案され組織労働運動中心にした路線への転換親北路線清算2006年10月の「一心会事件」で逮捕され党幹部除名骨子とした改革案が2月3日臨時党大会否決され、翌4日、沈委員長以下の非常対策委員会メンバー総辞職した。これをきっかけ平等派党員幹部離党が相次ぎ2月15日には金恵敬(キム・ヘギョン元代表や元党最高委員、党地域委員会委員長幹部らが離党するなど分裂拡大した。 民労党を離党する意思表明した平等派魯会燦沈相奵シム・サンジョン)両議員は、新し進歩政党立ち上げることを表明2月24日の「進歩新党推進討論会」を経て3月2日発起人大会準備委員会結成大会3月16日に創党大会開催魯会燦沈相奵等5人を共同代表として「進歩新党」を旗揚げした。しかし準備期間短かったこともあり、2008年4月9日総選挙では地域区と比例代表区、共に議席獲得出来なかった(比例代表得票率2.94%)。

※この「民労党からの離党、新党結成」の解説は、「労働党 (韓国)」の解説の一部です。
「民労党からの離党、新党結成」を含む「労働党 (韓国)」の記事については、「労働党 (韓国)」の概要を参照ください。

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