民初外交での活躍とは? わかりやすく解説

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民初外交での活躍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/02 22:41 UTC 版)

施肇基」の記事における「民初外交での活躍」の解説

中華民国成立後1912年民国元年3月唐紹儀民国最初内閣組織し、その翌月施肇基交通総長任命された。しかし、袁世凱干渉に耐えかねた唐は6月辞職追い込まれ、施もまた唐に従った1914年民国3年6月駐英公使任命され以後7年同職にあった1919年民国8年)のヴェルサイユ会議にも代表団として出席する山東問題などへの反発から、施もヴェルサイユ条約調印拒否賛成している。 1921年民国10年2月施肇基は、顧維鈞役職入れ替わる形で駐米公使異動する同年から開始されワシントン会議にも、施は全権代表の1人として参加した。このときの施は、顧らとともに不平等条約撤廃租借地返還関税自主権回復などを目指し列強相手懸命に交渉している。しかし、列強も譲らず、これらの実現はならなかった。1920年民国11年2月北京政府の命もあって、施が中国代表して九カ国条約調印した帰国後の1923年民国12年1月張紹曽内閣外交総長任命される。ところが翌月参議院議員接待するための宴席設けようとしなかった、という理由により、参議院が施の任命拒否し外交総長から罷免追いやられてしまった。3月、駐米公使再任される。1926年民国15年5月には顔恵慶内閣外交総長任命された。しかし、短期間で顔内閣崩壊したため、やはりすぐに駐米公使復帰した

※この「民初外交での活躍」の解説は、「施肇基」の解説の一部です。
「民初外交での活躍」を含む「施肇基」の記事については、「施肇基」の概要を参照ください。

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