労働運動へ
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1956年8月31日、慶尚南道釜山市水営洞(現・釜山広域市水営区水営洞)に生まれる。本貫は江華魯氏。釜山三育小学校(朝鮮語版)、釜山中学校を卒業し、高校進学に際し釜山を離れソウルに上京。京畿高校、高麗大学校を卒業した。1973年、維新体制に反対し、朴正煕打倒を訴える印刷物を制作し、配布しながら、民主化運動の道に入った。 1982年、偽装就業をするために、ソウル青少年職業学校に入学して、溶接技術を学んだ。高麗大学校を卒業する年に、電気溶接技能者2級資格を取得し、電気工として就職した。この頃から、指名手配され、地下生活を開始した。1987年仁川地域民主労働者連盟(仁民労連)を創立して、1989年には隔週刊で「社会主義者」の編集委員を始めた。 拘束・収監されたが、1992年に満期出所し、同年12月に行われた大統領選挙に立候補した白基玩(朝鮮語版)候補の選挙対策本部組織委員長として活動した。その後、進歩政党の結成に努力し、進歩政党推進委員会、進歩政治連合などで、代表を務めた。魯会燦のこのような努力の末に、多くの社会運動陣営が結成した進歩政党である国民勝利21が1997年に結成された。しかし、国民勝利21は、2000年に民主労働党(略称:民労党)に発展的解消した。当時魯会燦は民主労働党代表に就任した。2002年の大統領選挙では権永吉候補の選挙運動をした。
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