民衆運動としての米騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:33 UTC 版)
「大戦景気 (日本)」の記事における「民衆運動としての米騒動」の解説
1918年米騒動は富山県下新川郡魚津町(現魚津市)など富山湾一帯におこっていた米の積み出し反対に端を発したものであり、戦争長期化の影響やシベリア出兵の噂もあって米価のみならず生活必需品全般の高騰による逼迫した民衆生活を背景に全国化していった。青森県・秋田県・岩手県・栃木県・沖縄県をのぞく1道3府37県で騒擾・暴動が起こり、街頭の騒動に参加した者は100万を超え、軍隊が107箇所に出動したといわれる。米騒動は、日比谷焼打事件にはじまる一連の民衆運動の最後に位置するものであり、近代日本史上、民衆運動に対して巨大な兵力が投入されたものとしては最大規模のものである。米騒動は、自然発生的とはいえ、民衆がみずから独自に立ち上がったものであり、この時期に労働争議が急増するなど、その後の労働運動への展開を示唆する民衆による示威行動であった。
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