期成会の機関紙から社会主義の機関紙へとは? わかりやすく解説

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期成会の機関紙から社会主義の機関紙へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 05:09 UTC 版)

労働世界」の記事における「期成会の機関紙から社会主義の機関紙へ」の解説

創刊初期の「労働世界」の目的は、労働組合期成会スローガンである「労働神聖なり」「組合勢力なり」を実行することであり、技術の向上産業進歩に資せんとする労使協調的な性格持っていた。また、労働組合結成だけでなく「共働店」=消費組合結成説かれた。しかし、1898年4月発行され第5号には早くも社会主義好意を示す記述現れ1899年27号からは「社会主義」が設けられ欧州社会主義運動について解説乗せられるなど、労使協調路線から脱していった。労働組合主義主張する高野房太郎社会主義主張する片山対立が、期成会と「労働世界」の対立となって現れた。 片山は、紙上で「講壇社会主義」を批判する論陣張ったまた、治安警察法下での労働運動へ弾圧に関する告発や、萌芽的なものであるものの労働者階級政治運動必要性打ち出した前述の「社会主義」は、治安警察法下での労働者政治運動開始見越して設けられたものであり、同時に普通選挙」を設け普通選挙同盟会などによる普選運動動向紹介した1902年1月、「内外新報」と改題し日刊紙として再刊した。同年4月3日にふたたび「労働世界」に複題し、月3回刊の雑誌として1903年2月23号まで刊行された。3月3日号より「社会主義」改題し社会主義協会機関紙となった「社会主義」初めから社会主義的主張掲げており、改題第一号では片山労働者政党必要性訴えている。また、木下尚江西川光二郎らによっても労働者政治運動による社会運動必要性説かれ、これらは日露戦争前夜非戦論への先鞭をつけた。また、社会主義宣伝普及運動についての詳しい報告や、各地労働者窮状明らかにする記事掲載された。 1903年12月片山第二インターナショナル第六大会出席するために渡米し山根吾一が編集受け継いだ1904年には「平民新聞」が創刊され運動の中心はそちらに移るも、社会主義的主張守り続けた。ただし、詩歌渡米案内などを設け誌面内容に幅を持たせている。

※この「期成会の機関紙から社会主義の機関紙へ」の解説は、「労働世界」の解説の一部です。
「期成会の機関紙から社会主義の機関紙へ」を含む「労働世界」の記事については、「労働世界」の概要を参照ください。

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