労働運動との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 08:18 UTC 版)
しかし、チャーティストと労働組合の共闘は不確かなものであった。 労働組合の主な関心は、出来高払いの廃止などの賃金問題や時短運動、徒弟制度の維持と入職制限などが中心で、組合に組織された技能系の職種についた熟練労働者は集団互助が早い段階から整備されていたため、政治運動に懐疑的であった。職人の多くが自分の才覚ではなく政治に救いを求めるのは「男の生き方」ではないという見方をしていたためである。機械化以前の技能で生きる職工(労働貴族あるいはアーティザンと呼ばれる)の多くは非常に保守的だったのである。これが多くのクラフト・ユニオン(職種別労働組合)で「ノー・ポリティクス」というルールに発展していく。また、抗議形態もストライキや暴動などの闘争から労使交渉へ、そして一九世紀末には議員に対するロビー活動へと進化していったため、熟練労働者に労働党へと続く道筋はなかった。 それゆえ、オブライエンは労働組合運動に批判的であった。かれは「労働組合は雇用主をして職工の賃金を農業労働者の賃金水準に切り下げないようにするのが関の山である。労働組合は職工の個人的な熟練が重要さをもっている種類の労働には幾らか役に立つであろう。制度を完全に変革することなしに、職工が正当な一日に対して正当な賃金を要求できる望みがあるのであろうか。」と強い不信感を表明していた。この見解に符合するように、紡績業などにつく一般労働者や鉱夫を除いて多くの肉体労働者は疎外された存在だった。1840年代初頭は労働者全体の組合組織率も低い時代状況であったことに加え、綿業労働者は軽作業が多く専門技術に特化してはいなかったため、不況の煽りを受けて賃金カットや失業に晒されやすかった。このような闘争以外に活路を見出せない一般労働者がチャーティスト暴動の支持母体となっていたのである。この一般労働者の不安定さはさらなる運動の模索につながる。
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