日本の労働運動との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/10 04:19 UTC 版)
「サミュエル・ゴンパーズ」の記事における「日本の労働運動との関係」の解説
1894年、高野房太郎はかねてから教えを請うていた当時アメリカ労働総同盟の会長であったゴンパースと会い、アメリカ労働総同盟の日本オルグに任命された。日本帰国後も高野はゴンパーズから激励の手紙などを受け取りやがて、片山潜らと労働組合期成会を発足させた。 友愛会の鈴木文治は1915年に渡米してアメリカ労働総同盟の大会に出席し、ゴンパーズらから刺激を受けたと言われる。 パリ講和会議ではゴンパーズは労働法制委員会の議長となったが、このときの日本の代表は官僚ばかりで労働運動家は一人も参加しておらず日本の労働運動の遅れが際立った。国際労働機関設置の契機ともなったこの会議では最低賃金制、8時間労働制なども決められたが日本だけは委員会に働きかけ例外とされた。
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