第四共和政
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第四共和政(だいよんきょうわせい)、第四共和国(だいよんきょうわこく)
- フランス第四共和政(1946年 - 1958年)
- フィリピン第四共和政(1972年 - 1986年)
- 大韓民国第四共和政(1972年 - 1979年)⇒第四共和国 (大韓民国)
- 第4共和国 (テレビドラマ) - 第四共和国時代の政治を描いた大韓民国のテレビドラマ作品。
- トーゴ第四共和政(1992年 - )⇒トーゴ共和国
- ガーナ第四共和政(1992年 - )⇒ガーナ共和国
- ニジェール第四共和政(1996年 - 1999年)
- ナイジェリア第四共和政(1999年 - )
関連項目
第四共和国
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1970年代における共産主義諸国の状況の変化過程からは、「国内主義」(domesticism)から対外行為の選定へ方向転換を試みようとしていることを、顕著に感じることが出来る。1960年代後半期から表面化されている、東ヨーロッパの共産主義諸国の西側接近外交は、東西交流を通して自国の利益の追求することに直結している。ヨーロッパでは、互恵原則に即して各種の経済交流は勿論、文化的・人的交流による国家間の関係改善を積極推進していたことが、当時の東側諸国も含めた今日のEU形成の足掛かりの一つとなった。 一方、主導権争いを巡る中ソ対立と競合関係にあるソ連と中華人民共和国の対外政策も、1970年代に至って画期的に変化した。中・ソは共に対日・対米関係の正常化へ自身らの外交軌道を大幅に修正したのは勿論、その他のアジア・アフリカ・ラテンアメリカ及び西欧諸国との関係改善を急いだ。このような共産圏内部の多様な状況変化は、国際政治体系上一大転換期ともいえるものだった。勿論、短期的な展望で韓国が対共産圏外交の方向を急転換させるということは時期尚早という声も挙がったが、急激に移り変わり続ける国際情勢の中で、韓国の外交の方向はより伸縮性があり、かつ現実主義的な積極外交の断行のみが、韓国の国家目的を達成することが可能な道だと見なされるようになった。よって、韓国外交の多様性は、単純に双務的な政治協力または軍事的な同盟関係の強化のみを前提とする、地域機構への積極参加にのみ総力を動員するのではなく、そのような関係の為の外交を優先視しながらも、一方では国際政治体系の変動に敏感で幅広い外交感覚が必要だと見ることにある。
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