ほんもん・しゃくもん 【本門・迹門】
本門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:05 UTC 版)
後半部を本門(ほんもん)と呼び、久遠実成(くおんじつじょう。釈迦牟尼仏は今生で初めて悟りを得たのではなく、実は久遠の五百塵点劫の過去世において既に成仏していた存在である、という主張)の宣言が中心テーマとなる。これは、後に本仏論問題を惹起する。 本門ではすなわちここに至って仏とはもはや歴史上の釈迦一個人のことではない。ひとたび法華経に縁を結んだひとつの命は流転苦難を経ながらも、やがて信の道に入り、自己の無限の可能性を開いてゆく。その生のありかたそのものを指して仏であると説く。したがってその寿命は、見かけの生死を超えた、無限の未来へと続いていく久遠のものとして理解される。そしてこの世(娑婆世界)は久遠の寿命を持つ仏が常住して永遠に衆生を救済へと導き続けている場所である。それにより“一切の衆生が、いつかは必ず仏に成り得る”という教えも、単なる理屈や理想ではなく、確かな保証を伴った事実であると説く。そして仏とは久遠の寿命を持つ存在である、というこの奥義を聞いた者は、一念信解・初随喜するだけでも大功徳を得ると説かれる。 説法の対象は、菩薩をはじめとするあらゆる境涯に渡る。また、末法愚人を導く法として上行菩薩を初めとする地涌の菩薩たちに対する末法弘教の付嘱、観世音菩薩等のはたらきによる法華経信仰者への守護と莫大な現世利益などを説く。
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