本迹相対(ほんじゃくそうたい)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 00:48 UTC 版)
「五重相対」の記事における「本迹相対(ほんじゃくそうたい)」の解説
法華経は「迹門(しゃくもん)」と「本門」に立て分けられ、これを比較相対し勝劣・相違を判ずることを本迹相対という。 本とは、法華経の本門(ほんもん)のこと。 迹とは、法華経の迹門(しゃくもん)のこと。垂迹(仮にあらわした姿)のこと。 法華経28品の中でも、本門と迹門に区別される。 法華経28品のうち、『序品第一』から『安楽行品第十四』までの前半部分は、これまでの教説を統一整理することが趣旨となる法門なので「迹門」といい、『従地涌出品第十五』から『普賢菩薩勧発品第二十八』の後半部分は、人々を成仏させる仏様の整理と仏の在り方を顕かにすることを趣旨にしているので「本門」という。 迹門では、『方便品第二』において諸法実相の法理が説かれ、一切衆生を成仏せしめる一念三千の法門が明かされた。これにより、今までの爾前経で成仏できないとされてきた二乗(声聞・縁覚)の作仏(仏になること)が、はじめて許されることになった。しかし、未だ釈迦が蒔いてきた種子の真髄が明かされていないため、一念三千といっても理論上の法門でしかなく、二乗作仏も名のみであってその実体がなく、成仏には至っていない。これは、仏の本質を説いていないからである。仏の本質を整理し説いたのが『寿量品』である。法華経において、『序品第一』から『安楽行品第十四』までを「迹門」と分類し、『地涌出品第十五』から『普賢菩薩勧発品第二十八』を「本門」として分類されている。 このことを日蓮は 「迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失一つを脱(のが)れたり。しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず」(開目抄 新編536頁) と示している。これに対して本門では、『寿量品』で釈迦の本地について、 「我本菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず」(開結433) と、久遠本因妙の修行を示し、 「我成仏してより已来、甚だ大いに久遠なり」(開結433) と、本因妙の修行によって得た本果(本果妙)を明かした。また、 「我常に此の娑婆世界に在って、説法教化す」(開結431) と、釈迦と縁のあった(釈尊有縁)の国土は娑婆世界(本国土妙)であることを説いた。 このように本門では、釈迦の本地である久遠実成として「本仏※」の存在を顕かにし、仏の具体的な振る舞いのなかに本因妙・本果妙・本国土妙の三妙合論して明かし、仏の永遠の生命をもって事の一念三千の教説を顕した。これにより、仏の本地身と衆生の久遠以来の関係が明らかとなる。このように、迹門ではこれまでの「教説」を整理し明確にし、本門では「仏」の整理を行い、衆生へ仏の在り方とその本質を示す。※本仏:諸仏の統一としての「根本仏」を示し、悟りの時間軸では久遠からの悟りを持つ「本覚仏」を顕かにする。 この本迹の相違について日蓮は、 「本迹の相違は水火・天地の違目なり。例せば爾前と法華経との違目よりも猶相違あり」(治病大小権実違目 新編1236頁) と述べている。したがって本迹相対すれば、始成正覚の垂迹仏の迹門が劣り、久遠実成の本地仏の本門が勝れていることになる。 なお、日蓮の滅後、門弟間で本迹の相違に対する議論が起こり、本迹に勝劣はなく一致であるとする一致派と、本門が勝れ迹門が劣る(本勝迹劣)を主張した勝劣派とに分かれる。 ―――「教観相対」と「種脱相対」――― 五重相対の最後は、「教観相対」とする日蓮宗と「種脱相対」とする日蓮正宗等に分かれる。日蓮の滅後、門弟間において、『開目抄』の解釈で「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづ(沈)めたり、竜樹・天親・知ってしかも・いまだ・ひろ(拾)い・いだ(出)さず但我が天台智者のみこれをいだ(懐)けり」を巡り議論があり、文の底に沈められているのは、事の一念三千であるとする身延山などの一般的な日蓮宗諸派と、三大秘法の妙法あるいは南無妙法蓮華経であるとする日蓮正宗や富士門流に分かれる。
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