本路線の成り立ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 05:29 UTC 版)
本路線の前身は岡多線の大半区間(岡崎 - 新豊田 - 瀬戸〈現:瀬戸市〉)と瀬戸線(せとせん)の一部区間(瀬戸 - 高蔵寺間)である。岡多線(岡崎 - 瀬戸間)および瀬戸線は、ともに旧日本鉄道建設公団(鉄道公団)が「主要幹線鉄道線」(C線)として建設し、日本国有鉄道(国鉄)による運行・経営が予定されていた。 岡多線(岡崎 - 新豊田間)は1976年に国鉄線として開業し、1987年の国鉄分割民営化でJR東海に継承されたものの、日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)により第3次特定地方交通線に指定されていたため、高蔵寺延伸とともに第三セクター鉄道へ経営転換した。なお同区間は特定地方交通線の中では唯一、第三セクター転換前に電化されていた路線である。残る岡多線(新豊田 - 瀬戸間)および瀬戸線(瀬戸 - 高蔵寺間)は、岡崎 - 新豊田間の「岡多線」開業区間と同じく、旧鉄道公団が「C線」として建設したものの、開業直前の1984年に国鉄が引き受け拒否を表明した岡多線(新豊田 - 瀬戸間)および瀬戸線(瀬戸 - 高蔵寺)の一部区間である。 岡多線は岡崎から新豊田・瀬戸市を経由し多治見まで至る計画の路線だったが、このうち実際に着工され、開業した区間は名古屋近郊の大環状線として、瀬戸線との一体運用が想定されていた岡崎 - 瀬戸(瀬戸市)間にとどまった(詳細は後述)。第三セクター転換問題が浮上する1984年(昭和59年)以前から、岡多線(岡崎 - 瀬戸間)は、瀬戸(瀬戸市駅)で接続する瀬戸線とともに「岡多・瀬戸線」と呼称され、名古屋周辺部の各都市を結ぶ環状ルートを形成すると同時に、名古屋近郊の東海道本線(岡崎 - 稲沢間)をバイパスする大環状線として位置づけられていた。一方、残る岡多線の区間(瀬戸 - 多治見間)はその大環状線から外れる形となっており、着工されないまま、「岡多・瀬戸線」の第三セクター転換問題が浮上する以前の1979年(昭和54年)6月に建設が凍結され、未成線に終わっている。線路等級に着目しても、現在の愛知環状鉄道線として開業した区間を含む「岡多・瀬戸線」(岡崎 - 瀬戸 - 稲沢間)は高規格な「甲線」(複線・電化)として、未成線に終わった岡多線の瀬戸以北(多治見方面)はより規格の低い「丙線」(単線・非電化)として、それぞれ計画されていた。 当路線は輸送需要が未成熟だったことから単線で開業したが、もともと全線複線化に対応できる構造で建設されており、路盤は複線で施工されている。単線区間では、線路の東側にもう1線分の用地があらかじめ確保されており、トンネルなどもそれに準じた規格で作られている。しかし愛環発足から10年以上経過してから新設された貝津駅・愛環梅坪駅に関してはプラットホームが1面1線の片面ホームで作られているため、複線化の際には線路の増設に加えてもう1つホームを新設し、2面2線の相対式ホームとする必要がある(後節も参照)。また、愛環発足時に新設された大門駅に至っては複線化用路盤上にホームが設置されているため、同駅周辺の複線化は容易ではない。また普段使われていない東側の用地は、橋の更新工事などを行う際の仮線を敷く際に利用されることがある。 愛環梅坪駅付近では複線路盤のうち西側のみに単線の線路(スラブ軌道)が敷設され、その線路に面して1面1線の片面ホームがある。線路に隣接しているのが複線化用の路盤で、複線化の際には路盤上への線路敷設に加え、新たにホームを増設して2面2線の相対式ホームとなる。
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